FC2ブログ
 
■プロフィール

  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
庭の手入れ
「いつもAさんの御庭がきれいに手入れしてあるのを見て、ぜひうちも一度お願いしたいと思いまして。」

というような は こ び で御庭のお手入れのご用命を賜るのはなんとも有り難いことです。今日下見にお邪魔したお客様はそうおっしゃいました。

庭はけっして他人に見せびらかすためのものであるべきではないと思いますが、御庭がきれいに手入れしてあるというのは、持主様にとっても、また近所のかたにとっても、たまたま通りすがる人々にとっても、なにか心が和み、清らかになることがあると信じたいと思います。またそう思い続けることによって、我々庭師の社会への貢献が正当化できましょう。

庭の手入れというのが人と社会に与える影響は小さくないのではないか、そう自負するのですが、そのとき現実問題として必ず関わってくることに、お金のこと、そして 時間のこと、があると思います。

まず、どの程度の時間や手間をかけて庭を手入れするかという問題、つまり、手入れという行為に直接関係する経済の問題。そして、人間の生の時間と庭の生の時間との折り合い、という問題、つまり、ご先祖様~当代の御庭の持ち主~子孫へと至る時間の中で当事者である方が庭をどう生かしどう成熟させ、あるいはまたどう始末するか、というような問題です。

実は個別のお客様の御庭を扱うとき、その問題の特定は千差万別であるべきで、またその解決方についても然り。

庭仕事の技術はもちろん、庭を取り巻く お金と時間 のコーディネーションについてもまことに奥が深過ぎて.。。。まさに試行錯誤でございます。

スポンサーサイト



植木屋のたわごと | 22:49:23 | Trackback(0) | Comments(0)
絵ごころ
お客様へのプレゼンテーションに、手描きのパースっぽい絵を4枚ほど描きました。

頭の中でその庭空間にいる自分を想像して、その自分が見るであろう(見たいであろう)庭の雰囲気やこれだ!という庭の構成要素をちょっとドラマチックに表現してみる。。。

「うまいですねぇ」
「いえいえ」
「やっぱりこういう絵を描くのがお好きなんですか?」
「はい、まあ。。。」

私のお見せした絵によって、お客様はこの想像上の庭にご自分で立たれることができた、と、そう思える瞬間でした。

絵については、別にきちんと勉強したわけではありませんが、これまでにすばらしい示唆を与えてくれた人たちが確かに存在します。

一人はアメリカの学校のジム・コーナー先生(←あの、ニューヨークの「スカイライン」。。。でしたっけ、名前は。。。をデザインしたランドスケープデザイナー)。彼は、いきなり授業で我々にニンニクの絵を描かせたのです。ニンニクを見ること、それはまるでニンニクになること、というような芭蕉にも通じそうなメッセージ。冷徹(超客観??)ともいえるような観察眼で、ものに迫る。。。そして彼は、present をするのであって、represent ではないのだ、と教えてくれました。つまり、絵を描くときはものの本質を自分なりに解釈して新たな価値を付け加えるべく前に放り出すのであって、すでに誰か(自分を含めた)が定めたものの概念やものの観方を自分の絵によって代弁するのではない、と。あれれ、難しい話になってしまいました。。。でも、その時の私にはそれがピンときて、納得!と思えましたし、今でもそれは貴重な教えとして残っています。

もう一人は、そのアメリア時代のクラスメートの中国系アメリカ人の女性。天才か!と思える絵のうまさ。すごいと思ったのは、注目してほしいものの描き方は実にエッジが効いてシャープなのに対し、注目をそれたものたちは、絶妙なぼかしでハショッていること。人間はあるひとつのものに釘付けになると他のものはほとんど見えていない。ほんの一瞬のことではあるけれども。でもその見る人の一瞬の脳のはたらきを絵が捉えているのです。だから臨場感というか閃光のごときインパクトがえげつない。。。

もう一人は、スイスのパオロ・ブルギ氏。私の恩師でもある人。彼は、常々、「どう見えるかを描くのではないよ。何を見せたいか、そして何を感じてほしいかを描くのだよ」と言ってくれました。惚れ惚れすることば。デザイナーであるなら、まだ形になっていないものを描いて顧客に説明する段階があるのだから、そのときは、このコトバが実に説得力をもってきます。

などなど、いろいろなひとが絵について教えてくれました。自分の絵などほんとうにたいしたことはないけれど、絵ごころだけは常に持っていないと絵にならない、とは思います。たかが絵、されど絵は深いものがありそうです。



植木屋のたわごと | 23:06:57 | Trackback(0) | Comments(0)
茶が日本の庭にもたらしたもの
最近ちょっとハマっていることがあって、それは、金蘭大学名誉教授の生形貴重氏の講演を録音したものを拝聴することです。

生形氏は、国文学者で茶道研究家。専門は中世日本文学、茶道文化論。大阪の表千家の茶家「生形朝宗庵」の生まれ。

録音はシリーズで13回もの。一回15分ほどのお話です。

まるで淀川長治を彷彿とさせる語り口で、ぐいぐい惹き込んでいかれます。

喫茶のはじまりから、村田珠光、武野紹鴎、千利休、そして利休と信長、秀吉の関係、さらに大名茶の発展、そして茶の湯の芸術としての価値にいたるまで。お話は、主要人物とそれぞれの生きざま、時代背景、社会経済、芸術におよぶ。もちろん、茶の湯に関係するお道具、茶室、茶庭についてもかなり突っ込んで取り上げておられます。

茶庭というのも、さまざまな要素が絡み合った産物であるというのが理解できます。時代の要求、時代を敏感に感じ取った人物たちの試行錯誤や命を懸けた挑戦、先人に倣い先人を越えようという意気込み。。。

「茶庭」というとひとつの決まった形があるようで、しかし、それはいろんな変遷を経たものであること。

いやー、日本人に生まれたことを感謝しなければいけませんね。こんな芸術の世界が今でも受け継がれて生きているということはほんとうにすばらしいことです。

生形氏のお話は、YouTubeでも拝聴可能です。「千利休と茶の湯の美」 味わい深い講義です。

本の紹介・書評 | 22:01:56 | Trackback(0) | Comments(0)
150年の熟成
asahikan_2019.jpg


川上村の老舗旅館 朝日館 の中庭。以前このブログでも書きましたが、この庭でいつ作業をしても、この熟成された庭の落ち着きといきいきとした石組の妙に感動をおぼえます。

150年前に、こんな立地条件の険しい敷地で、よくぞこれだけの石組をやってのけたものだ、と。石組が奥行のある立体絵画を描いているのです。

庭に植わる、五葉松、梅、真柏、槇、椿、ギンモクセイ、マンサク、サツキたちもまた、石組と斜面の中でそれぞれの居場所をかみしめて、落ち着きはらっています。

これだけの年月に耐える庭を作ることがどれだけすごいことか。それをまた維持してこられたこの旅館の代々の主や女中さんらの気概にただただ尊敬の念を抱くばかりです。



庭づくり・庭作業 | 21:36:11 | Trackback(0) | Comments(0)
藤棚 vs 藤支柱
wisteria_2019_5.jpg

菟田野宇賀志の日張山青蓮寺の藤棚です。

3年前に朽ちた古い棚を撤去して一新した藤棚です。今年も藤をいい感じで支えてくれています。

藤棚といえば往々にして棚ありきのような藤棚があるものですが、ここでは、あたかも山藤が背後の山からググっとせり出してきた、というような風情を出せないものか、「これぞ藤!」といえるような演出はできないものか、と思案したものです。大宇陀~吉野あたりの山の中の道を車で走っていると、山の斜面からせり出して咲いている藤の蔓枝があちこちで目立ちます。そんな感じを庭のなかで再現できたら。。。というわけです。

結果、藤棚というよりは、藤の支え、というかたちになり、こうしてみると、デザイン意図は功を奏したかな、と思っています。

支柱は、それ自体が主張するものであってはいけません。無理やりという支え方もいけません。支えらるべき主人公の「らしさ」みたいなものをより効果的に醸しだしてくれるような支えでなければ。人形劇の人形の姿態や動きをつくりだす支え(棒)みたいなものでしょうか。

そんなことを思うと、普段の植木の支柱の仕方にも工夫や気配りは大事だとわかります。






庭づくり・庭作業 | 10:41:04 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ