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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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茶庭の手入れ
やはり、茶庭となると、よりいっそう美意識を意識しながら作業することになりますね。

今月は2つの茶庭を手入れする作業をしましたが、茶庭って、やっぱり日本の庭のエッセンスを一番よく体現しているように思うのです。

めざすは「自然」。

しかもそれは使われる庭という前提での「自然さ」。

そして、その自然は、作られた自然。つまり、市中にあって山居の趣を醸し出すという意味での自然。

それは、本当に高度な作為・造形なのですね。

使う庭でありながら、つまり、機能を保証しながら、かつ、自然であること。

先日、ローマの裏千家出張所の所長を長年勤められた野尻命子先生をお連れして、能楽師の斎藤信隆先生に面会した折、斎藤先生が、能の動きについて、「自然であること」とおっしゃられましたが、茶庭における自然、というのも、nature を再現するのではなく、むしろ、そのような「自然さ」を庭の中に作り出すことに近いのでは、と思いました。

極力、不自然を排除する―。

そこに日本の庭の本質もまたあるように思います。


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庭づくり・庭作業 | 18:36:17 | Trackback(0) | Comments(0)
松と鳥と人
伸び放題だった松の剪定を依頼され、さて天辺から剪定しはじめて半時間ほどたったころ、何か獣臭みたいなものを辺りに感じ、変だなぁ、と思いつつそのまま作業を継続、さらに1時間たったころ、ふと気が付くと、鳥の巣。その中にいた二羽の雛と目があってしまいました。二羽は180度反対方向を向いて、目をパチクリしていました。しかし何鳥?雛はかなり黒い。烏?にしてはちょっと違いそう。。。

よく今まで鳴きもしないで、なにもしないで静かにいたなぁ、と感心。さてしかし、いくら松の剪定が私の任務といえども、この巣をさすがに取ってしまうわけにはいかないだろう。こんな大きな雛が二羽も佇んでいるんだから。しかもこれだけ大きな雛だから、もうすぐ巣立っていくに違いない。

しかたない、お客様に説明して、この巣のある部分とその上の枝が形成している棚だけは残しておくことにしよう。

休憩時間にお客様にそのことを説明すると、それはごもっとも、と了解をいただきました。

休憩後、作業継続。と思いきや、何かが飛び立つ音。

親鳥が餌をもってやってきていたのでした。その姿は間違いなく、鳩。鳩だったのかぁ。

なるべく怯えさせないように作業を継続。

この日は一部分だけボウボウのままに残して、作業終了。

何日か経過。もうそろそろ巣立っていてもおかしくないかな? 

お客様に作業をしたいと思いますが、登って見てきます、と伝え、登ってみると、確かに巣立っていました。しかも巣のあとはもとのままではなく、いくらか「解体撤去」したような様子。

ほう、飛ぶ鳥あとを。。云々といいますが。。。

すると下からお客様がなにやら、ニコニコしながら報告してくださるところによると、どうやら二日前の台風がくるその前の日、親鳥が二羽、軒の上で、整列して、見ていたお客様の方を向いて、

「大事にしてくれてありがとう」と言わんばかりに、お辞儀までしてくれた、とのこと。

ちょっといい話。

鶴の恩返しならぬ、鳩の恩返しがあるかもしれませんね。

u_pine_s.jpg
無事 剪定の終わった松




植木屋のたわごと | 18:25:10 | Trackback(0) | Comments(0)
道具祓い
前回書いたように、倒木の処理をして12尺の脚立が壊滅しました。

そもそもこのような作業に脚立を使ったというのが間違いでした。

私のちょっとした油断の犠牲になってしまった12尺の脚立。ある意味、身代わりになってくれたとも言えます。ぐにゃぐにゃになって、もう直しようもない。

もちろんこれからも12尺の脚立が仕事では必要です。

そこで新しい脚立を手に入れる前に、この壊れてしまった脚立に長年の感謝の気持ちを伝えたい、そして処分されてしまうこの脚立の魂を少しでも鎮めるために、吉野神宮でお祓い(道具祓い)の儀を受けることにしました。

宮司さんに尋ねたところ、可能であるとのこと。

境内の神前まで脚立を運び、御祈祷をしていただきました。大変丁寧に祈祷をしていただき、平日の雨の午前中、ひとひとりいない静寂な境内で、静かに、この脚立の魂を鎮めてあげることができたのでは、と思います。

「このようなことになったのは残念なことでしたが、よろこんでいると思いますよ。道具にも魂がありますからね。」

宮司さんにそういって頂いたので、よいことをした、と思うことができました。

脚立。自分の命を毎日預けている道具でもあります。それをあらためて感じました。



植木屋のたわごと | 05:34:42 | Trackback(0) | Comments(0)
台風による倒木の処理
台風21号が関西を荒して過ぎ去っていきました。被害に遭われた方々、今でも被害の処理に日々あたられていらっしゃる方々のご苦労、心労を察します。

私は何日か前に、出入りさせていただいているお寺の境内の大きな樫の木がこの台風で倒れたのを処置する作業をしましたが、その作業中にあわやという危険な体験をしました。

大きな枝が裂けるように折れて、まだその根元が主幹に付いたまま、枝先のほうは地面に着いて、ふしぎなバランスで停止している、という状態でした。どこをどう切ればどう力が働いてどうバランスが乱れどう暴れるか、たいへん難しいものでした。

で、とりあえず枝先の余分な枝を少し払ってしまおうかと思い作業を開始。

ある時点で枝全体のバランスが大きく乱れ、枝の根元がバキバキ~。そのまま12尺の脚立にのった私もろとも押し倒してきました。なすすべなし。なにせ墨絵で描かれた龍のような枝なのです。

しかし来る力には抵抗するべからず、という太極拳から学んだ身体の「もっていきかた」、そして日頃の「お目覚めストレッチ」が功を奏し(~笑)、なんとか身体をくにゃっとしならせて難を逃れました。そして地面にこけて、お尻をどこかに擦ったらしく、痛い、と思った程度で済みました。

危ない、とは分かっていた作業でした。しかし、どこかに油断がありました。

どうするべきだったのか、振り返っているところです。安全第一。油断禁物。すべての職人さんにとってあまりにも当たり前で、しかしあまりにも容易く確認を怠りがちなことなのでしょう。



庭づくり・庭作業 | 17:19:22 | Trackback(0) | Comments(0)
町屋の隠れ庭
現在私が居住し、植木屋としての拠点をおく宇陀市大宇陀の旧市街松山地区。

戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄え、明治時代から昭和40年代まで賑わったという歴史をもち、宇陀松山伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている(以上、ウィキペディアから引用)、そんなところです。

表の道を散策しているだけではなかなか想像できないのですが、その奥には、しっとりとして住み手の個性をいかんなく発揮したと言えるようなすばらしい庭が沢山あるようです。


pino_h_s.jpg


この写真もそのひとつ。御家に残る記録をたどると明治のころにはすでに植わっていたという松を中心に、新たに植えられたモミジやマキやその他サツキなどで構成されています。この松は何年か前に建物を改築された折に、もう伐採してしまおうかという話にもなったようですが、お孫さんが「残すべき」と主張されたとのこと。樹齢の割にはほっそりとしたスマートな松ですが、さすがに枝ぶりはのびやかで、なんとなくこの御家のご家族の上品さとマッチしているのです。

これは一種の坪庭。こんな庭を毎日、ある時はダイニングから、あるときは回廊の窓越しに、あるときは離れの座敷から、と角度を変えて眺めておられるのだろうなぁ。すばらしいことです。しかも、御庭はいつも掃除が行き届いて、塵ひとつないような状態に保たれているのです。庭を心の栄養として、生活の中でいかんなく活用されているその姿に、手入れの作業をやらせていただきながら、いつも感動しています。




庭づくり・庭作業 | 22:24:04 | Trackback(0) | Comments(0)
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