投稿日:2018-04-18 Wed
昨年坪庭を作ってさしあげたスウェーデン人のお客様が、日本に来られ、奈良の桜を見たいとおっしゃったので、二日ほど奈良県を案内しました。桜目当てに来られたのに、今年の桜開花のかなりの前倒しにより、お着きになったころにはもうすでに多くの桜の名所で見頃は終わってしまっていました。吉野山しかり、大宇陀の又兵衛桜しかり。そして仏隆寺までも。。。そこで、奈良県で例年最も開花の遅いと言われる曽爾村の屏風岩公苑の山桜を見に行くことに! それはそれは満開とはこのことか、というほどの完璧なタイミング。そして穏やかな晴れ日和。

桜とその背景をなす屏風の岩が作り出す景色に感動してその場に居尽くす。そして桜の下でピクニック。そして昼寝。
あぁ、なんという贅沢!!
こんな時間があったとは。そしてはるばるスウェーデンからやってきて、こういう日本もあるんだぞ、ということをお見せできたのはなによりでした。
長く厳しいスウェーデンの冬を越えて、この日本の春、この華やかさと陽気が、身にしみて感じられたのでしょう。
スウェーデンの冬といえば、その坪庭が雪をかぶっている写真を見せてもらいました。

あぁ寒そう!!
でもその長く厳しかった冬があったからこそ、この花やこの春の陽気がとてもとてもありがたく感じられるのでしょう。
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投稿日:2018-03-15 Thu
ある御宅のガレージと玄関アプローチを仕切る垣として、くずし金閣寺垣を作成しました。
何故 くずし かと言えば、本式の金閣寺垣はてっぺんの笠の部分に半割竹3本を用いた玉縁を設けるのですが、ここでは太めの○竹をあえて用いているからです。やはり本式の金閣寺垣にすると、このような日常生活の実用的な部分の意匠としては見た目が格調高くなりすぎるのではと思い、すこし馴染みやすいというか、とっつきやすい意匠にしてみたわけです。
全体的に低くて、しかもガレージから玄関へアクセスするための通路部分を余裕をもって確保するために、途切れ途切れの竹垣になってしまう。そこを一体として感じさせるような連続性も必要になる。でも、もともと竹垣のすばらしいところは、このシンプルな連続性を演出できるところですね。シンプルながら、いやシンプルであるからこそ、バランスとか細部の意匠がとても重要になってくるのですね。実に豊かな、奥深い表現が可能な工作ですね、竹垣って!


投稿日:2018-02-20 Tue
プロの仕業か、アマの仕業か。。。 プロだったら納得、そして憧憬の念。
アマだったら、ただただ驚愕。
まあ、それはどちらでもよいのですが。。。
小豆島で見つけたなにげない石垣ですが、思わずおおぉーと言って車を停め、しばし魅入ってしまいました。
丁寧で大胆。大雑把でしかも決め所がシャープ。動きがあって見ていて飽きない。
これはプロの仕業だろうなー。
牟礼のイサムノグチ美術館の石の壁にも感心しましたが、このなにげない道路脇の石の壁にも同様に感心しました。
世の中、突然すばらしいものに出くわすんですね。このような造形が誰でもいつでも見られる普通の場所に露わにしてあることにも、この島―――小豆島―――の深さを感じました。


投稿日:2018-01-17 Wed
新年 あけましておめでとうございます。 と申し上げても、すでに睦月の半分が過ぎている、という始末。。おかげさまで昨年はとても充実した一年を送ることができました。今年も、より一層すてきな一年になるように、気持ちは引き締め、身体は緩めて、精進したいと思います。
そうです、身は緩めて、というのが今年のひとつのテーマであります!
毎朝のストレッチも、身を緩めることに気を集中させて、充実をはかりたいと思います。身軽に木登りをするには、身体の柔らかさが必要!キング・カズとか葛西選手は別格かもしれないけれど、歳をとっても、現役でいるためには、柔軟な身体が不可欠!であるのは間違いない。。。 → 我が兄貴、ストレッチマンにも訊いてみよう!かな
来年は平成という時代が終わるそうです。だから、というわけでもないのですが、昭和、という時代がどういう時代であったか、今年はもう一度自分のなかでおさらいをしておこうと思っています。そして昭和史というものに庭の発展の歴史を重ね合わせる。戦争と平和の歴史のなかで、庭というのはどんな価値を維持してきたのか。権力とかナショナリズムとかと庭は無縁ではなかった、いや、それらと非常に近い関係であったはずです(本ブログ2015年9月15日重森三玲『茶庭入門』でもそのトーンは分かります)。究極的には、世界の平和のために、庭というのがどう貢献できるのか、そんなことも模索していきたい、と思っています。心に庭がある、家に庭がある、美しい風景がある、ということが魂の安らぎとどう関わっているのか。それはイデオロギーの問題でもあるのか。
年頭に見た二つの大樹。大いなる気をもらいました。宝生院の真柏、そして誓願寺のソテツです。これらは人智を超えています。守り続けてきた地元の人々、お寺の関係者の方々の努力は如何ほどか~、ただただ感心。ひとりの植木屋なんてちっぽけなもの、そう思わざるを得ません。しかし、であるからこそ、ではなにができるか、それを考えねばなりません。
重ねて、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

宝生院の真柏

誓願寺のソテツ
投稿日:2017-12-31 Sun
今年も今日でおしまいです。本年も多くの方々にお世話になりました。ご協力頂きましたすべての方々、ご指導ご支援くださったすべての方々に、こころよりお礼申し上げます。
今年は春からスウェーデンで庭づくりをする機会を頂き、学ぶこと感じること多大でした。海外で庭をつくることの醍醐味と難しさを両方感じました。
秋には恒例となったイタリアのモンツァ農業学校での授業。二週間にわたる講義は大変そのものでしたが、教えながら学ぶ、その通りだと思いました。
そして造園工事を通して、石を扱うことの面白さをさらに実感した次第です。
今年は、日本の庭というものに一貫して存在する美意識みたいなもの、それをこれからも探求し続けたい、と思う機会がたくさんありました。地形、石組、植栽。。。そういうものの兼ね合いのなかで、その一貫した美意識はなんなのか。幸い、このブログでも紹介しましたが、イタリア人の生徒さんとの交流ややり取りのなかで、それを探求していくためのすばらしいヒントのようなものが見つけられるというのも分かってきました。やはり、日本のことを知るには、日本を普遍化することも大事なのではないでしょうか。つまり、日本の美というようなものを世界に通じる美として位置づけること。海外で庭をつくることもその探求の一環です。
そして最後に、それぞれのそれぞれにすばらしい御庭の手入れに、この私を庭師としてご用命くださっているお客様各位に、本年のお礼を申し上げます。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。御庭がますますいい庭になりますよう、私も精進させていただきます。
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