投稿日:2019-12-18 Wed
フランス人の庭師オリヴィエ君が来日、はるばる私の住む奈良県の大宇陀まで訪ねてきてくれました。イタリアのモンツァの学校の日本庭園講義に聴講しに来ていた人です。ちょうどそのころ茶庭の手入れを予定していたので、一日だけではありましたが、作業を手伝ってもらいました。モンツァのときは、こちらもあまり時間にも気持ちにも余裕がなく、落ち着いて話をすることができませんでしたが、今回は作業の休憩中にも、また共にした夕食の時間にも、いろいろな話を楽しむことができました。もちろん庭のこと、フランスでの日本庭園の紹介や作庭のこと、日本文化のこと、世界の環境問題のこと、といろいろです。彼は千葉の庭師さん三橋一夫氏に師事し、何回も来日、フランスでも日本庭園のワークショップを主催したりなど、日本の庭についてはかなりの通のようです。
今回の私の茶庭の手入れの作業中も、ディテールにしっかり目を配っていろいろと質問してきたり、またディテールだけでなく、全体の構成や雰囲気についても視野に入れ、いってみれば、庭の「森もみるし木もみる」ということをしているようでした。
日本の庭についても、だんだんとこのような眼の肥えた人が世界中にたくさん現れてきて、いよいよ日本庭園も国境がなくなってきたようですね。
と同時に、日本の若い人たちにもっともっと日本の庭の魅力を理解してくれるように、そういう場所と機会を提供していかなくてはいけませんね。もちろん庭だけの問題ではありません。日本の家(建物)あっての日本の庭。つまり、住まい方の問題。
縁あって、只今 大宇陀の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)にある我が家は改修中。築何年、とは正確に特定できないのですが、古い土壁から寛永通宝がポロリと落ちて出てきたところをみると、やはり遅くとも明治の初めには最初の躯体部分は建てられていたのではないか、と思われます。この家をもって、日本の家あっての日本の庭、というひとつのあり方を模索中です。簡単ではありません。
が、「庭屋一如」に憧れます。日本の伝統的木造建築と伝統的庭、そしてその最たる形、茶室と茶庭、これからも、そのへんを狙っていこうと思っています!

オリヴィエ君と作業した茶庭 外露地を見る

オリヴィエ君と作業した茶庭 内露地を見る
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投稿日:2019-06-20 Thu

川上村の老舗旅館 朝日館 の中庭。以前このブログでも書きましたが、この庭でいつ作業をしても、この熟成された庭の落ち着きといきいきとした石組の妙に感動をおぼえます。
150年前に、こんな立地条件の険しい敷地で、よくぞこれだけの石組をやってのけたものだ、と。石組が奥行のある立体絵画を描いているのです。
庭に植わる、五葉松、梅、真柏、槇、椿、ギンモクセイ、マンサク、サツキたちもまた、石組と斜面の中でそれぞれの居場所をかみしめて、落ち着きはらっています。
これだけの年月に耐える庭を作ることがどれだけすごいことか。それをまた維持してこられたこの旅館の代々の主や女中さんらの気概にただただ尊敬の念を抱くばかりです。
投稿日:2019-05-13 Mon

菟田野宇賀志の日張山青蓮寺の藤棚です。
3年前に朽ちた古い棚を撤去して一新した藤棚です。今年も藤をいい感じで支えてくれています。
藤棚といえば往々にして棚ありきのような藤棚があるものですが、ここでは、あたかも山藤が背後の山からググっとせり出してきた、というような風情を出せないものか、「これぞ藤!」といえるような演出はできないものか、と思案したものです。大宇陀~吉野あたりの山の中の道を車で走っていると、山の斜面からせり出して咲いている藤の蔓枝があちこちで目立ちます。そんな感じを庭のなかで再現できたら。。。というわけです。
結果、藤棚というよりは、藤の支え、というかたちになり、こうしてみると、デザイン意図は功を奏したかな、と思っています。
支柱は、それ自体が主張するものであってはいけません。無理やりという支え方もいけません。支えらるべき主人公の「らしさ」みたいなものをより効果的に醸しだしてくれるような支えでなければ。人形劇の人形の姿態や動きをつくりだす支え(棒)みたいなものでしょうか。
そんなことを思うと、普段の植木の支柱の仕方にも工夫や気配りは大事だとわかります。
投稿日:2019-03-18 Mon
春が近づくといえば、ふたたび雑草との戦いが幕を開けるということでもあります。庭を持つことはすばらしいこと。でも御庭をもつ人々にとってもっとも厄介なのが、やはり雑草との戦いでしょう。
草引きという作業は、ひとそれぞれかもしれませんが、必ずしも煩わしいだけの作業ではないと思うのですが、しかし、しかし、やはりそれなりの時間もかかるし、しゃがんで下を向いて1時間、2時間、半日とじっと作業するのはしんどいものです。
草引きをするときは、あまり全体を見ずに、目の前の草だけを如何にうまく手早く抜くかということにのみ集中し続けると、結構辛いのも忘れて、気が付いたら10㎡でも20㎡でも草引きが終わっているものです。
ところで、一昨日早春の陽を横顔に浴びながら草引きをしていると、二つのことに気づきました。
ひとつは、雑草に毛虫がけっこう沢山潜んでいたこと。初夏から秋までの草引きではあまり雑草のなかに毛虫がいるのを見たことがないのですが、早春のこの時期だからでしょうか。この時期は新鮮なおいしい緑が少ないから、こうして若い新鮮な雑草を食するのでしょうか?面白いと思いました。
二つ目は、赤い葉っぱのオタフクナンテンの周囲の地面に生えている雑草のみが、赤い色を帯びていたことです。雑草も保護色をまとうのか!それとも環境への同化?いやそもそもこの二つは同じこと?
雑草と向き合う作業のなかでも、ちょっとした発見があって面白いものです。
投稿日:2019-02-19 Tue
空手をしていた樫が、だんだん太極拳に染まっていく。。。。 そんな比喩ってあり???ゴツゴツの拳骨のような枝から力がぬけて、枝の腕から指先までの関節に気が通っていく感じ?
そんなこともイメージしながらこの大きな樫の木に毎年登って剪定をしています。
最初にこの木に登った5年前。鋸も鋏も入らないほどのガチガチの拳をいっしょうけんめいほどかせる作業。3年目にはようやく拳がほどけて自然に手のひらを開いた様子に。力の入った肘や腕も減っていき、体幹から手の先までの流れが見えるように。
そしてさらにその作業が続いています。
ところで、最近 体幹トレーニング ということばがよく使われるようになったようですが、体を幹としてとらえるところ、面白いですね。体を木と見る。木を体と見る。
剪定を考えるときのひとつの参考になると思っています。

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