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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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庭の手入れ
「いつもAさんの御庭がきれいに手入れしてあるのを見て、ぜひうちも一度お願いしたいと思いまして。」

というような は こ び で御庭のお手入れのご用命を賜るのはなんとも有り難いことです。今日下見にお邪魔したお客様はそうおっしゃいました。

庭はけっして他人に見せびらかすためのものであるべきではないと思いますが、御庭がきれいに手入れしてあるというのは、持主様にとっても、また近所のかたにとっても、たまたま通りすがる人々にとっても、なにか心が和み、清らかになることがあると信じたいと思います。またそう思い続けることによって、我々庭師の社会への貢献が正当化できましょう。

庭の手入れというのが人と社会に与える影響は小さくないのではないか、そう自負するのですが、そのとき現実問題として必ず関わってくることに、お金のこと、そして 時間のこと、があると思います。

まず、どの程度の時間や手間をかけて庭を手入れするかという問題、つまり、手入れという行為に直接関係する経済の問題。そして、人間の生の時間と庭の生の時間との折り合い、という問題、つまり、ご先祖様~当代の御庭の持ち主~子孫へと至る時間の中で当事者である方が庭をどう生かしどう成熟させ、あるいはまたどう始末するか、というような問題です。

実は個別のお客様の御庭を扱うとき、その問題の特定は千差万別であるべきで、またその解決方についても然り。

庭仕事の技術はもちろん、庭を取り巻く お金と時間 のコーディネーションについてもまことに奥が深過ぎて.。。。まさに試行錯誤でございます。

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植木屋のたわごと | 22:49:23 | Trackback(0) | Comments(0)
絵ごころ
お客様へのプレゼンテーションに、手描きのパースっぽい絵を4枚ほど描きました。

頭の中でその庭空間にいる自分を想像して、その自分が見るであろう(見たいであろう)庭の雰囲気やこれだ!という庭の構成要素をちょっとドラマチックに表現してみる。。。

「うまいですねぇ」
「いえいえ」
「やっぱりこういう絵を描くのがお好きなんですか?」
「はい、まあ。。。」

私のお見せした絵によって、お客様はこの想像上の庭にご自分で立たれることができた、と、そう思える瞬間でした。

絵については、別にきちんと勉強したわけではありませんが、これまでにすばらしい示唆を与えてくれた人たちが確かに存在します。

一人はアメリカの学校のジム・コーナー先生(←あの、ニューヨークの「スカイライン」。。。でしたっけ、名前は。。。をデザインしたランドスケープデザイナー)。彼は、いきなり授業で我々にニンニクの絵を描かせたのです。ニンニクを見ること、それはまるでニンニクになること、というような芭蕉にも通じそうなメッセージ。冷徹(超客観??)ともいえるような観察眼で、ものに迫る。。。そして彼は、present をするのであって、represent ではないのだ、と教えてくれました。つまり、絵を描くときはものの本質を自分なりに解釈して新たな価値を付け加えるべく前に放り出すのであって、すでに誰か(自分を含めた)が定めたものの概念やものの観方を自分の絵によって代弁するのではない、と。あれれ、難しい話になってしまいました。。。でも、その時の私にはそれがピンときて、納得!と思えましたし、今でもそれは貴重な教えとして残っています。

もう一人は、そのアメリア時代のクラスメートの中国系アメリカ人の女性。天才か!と思える絵のうまさ。すごいと思ったのは、注目してほしいものの描き方は実にエッジが効いてシャープなのに対し、注目をそれたものたちは、絶妙なぼかしでハショッていること。人間はあるひとつのものに釘付けになると他のものはほとんど見えていない。ほんの一瞬のことではあるけれども。でもその見る人の一瞬の脳のはたらきを絵が捉えているのです。だから臨場感というか閃光のごときインパクトがえげつない。。。

もう一人は、スイスのパオロ・ブルギ氏。私の恩師でもある人。彼は、常々、「どう見えるかを描くのではないよ。何を見せたいか、そして何を感じてほしいかを描くのだよ」と言ってくれました。惚れ惚れすることば。デザイナーであるなら、まだ形になっていないものを描いて顧客に説明する段階があるのだから、そのときは、このコトバが実に説得力をもってきます。

などなど、いろいろなひとが絵について教えてくれました。自分の絵などほんとうにたいしたことはないけれど、絵ごころだけは常に持っていないと絵にならない、とは思います。たかが絵、されど絵は深いものがありそうです。



植木屋のたわごと | 23:06:57 | Trackback(0) | Comments(0)
素朴な疑問。。。
イタリア人と日本人のハーフの男子、歳のころ19才。イタリアでこれまでの人生の大半を過ごし、今現在は一時的に日本に滞在中。日本の庭と庭師について興味を持ち、ちょっとどんなものか体験してみたい、と。

何故に??という私の質問に対し、彼はなかなかいい返事をしてくれました。

「日本の庭は美しいけど、どうやってその美しさが生まれるのか、それを知りたい」

いかがでしょう、非常にシンプルで的をついた応えだと思いました。

このシンプルな疑問と探求心をこれからずーと保持していくことができれば、間違いなくいい庭師になれるのではないだろうか、そう思います。

その疑問に答えをだすには、自分なりの頭とからだ両方を使った研究が必要になるでしょう。

そしてそれはいかに経験を積んだ庭師でも、けっして忘れるべきではない疑問でしょう。

日本で育った若者たちに同じ疑問と探求心が生まれるかどうか、それは外から見たときによりいっそう純粋に生まれてくるものなのか、はてはて。。。

私自身がかつてイタリアで生活するなかでより強くなっていった日本の庭へのあこがれ。それを思い返すことになりました。


植木屋のたわごと | 22:23:11 | Trackback(0) | Comments(0)
松と鳥と人
伸び放題だった松の剪定を依頼され、さて天辺から剪定しはじめて半時間ほどたったころ、何か獣臭みたいなものを辺りに感じ、変だなぁ、と思いつつそのまま作業を継続、さらに1時間たったころ、ふと気が付くと、鳥の巣。その中にいた二羽の雛と目があってしまいました。二羽は180度反対方向を向いて、目をパチクリしていました。しかし何鳥?雛はかなり黒い。烏?にしてはちょっと違いそう。。。

よく今まで鳴きもしないで、なにもしないで静かにいたなぁ、と感心。さてしかし、いくら松の剪定が私の任務といえども、この巣をさすがに取ってしまうわけにはいかないだろう。こんな大きな雛が二羽も佇んでいるんだから。しかもこれだけ大きな雛だから、もうすぐ巣立っていくに違いない。

しかたない、お客様に説明して、この巣のある部分とその上の枝が形成している棚だけは残しておくことにしよう。

休憩時間にお客様にそのことを説明すると、それはごもっとも、と了解をいただきました。

休憩後、作業継続。と思いきや、何かが飛び立つ音。

親鳥が餌をもってやってきていたのでした。その姿は間違いなく、鳩。鳩だったのかぁ。

なるべく怯えさせないように作業を継続。

この日は一部分だけボウボウのままに残して、作業終了。

何日か経過。もうそろそろ巣立っていてもおかしくないかな? 

お客様に作業をしたいと思いますが、登って見てきます、と伝え、登ってみると、確かに巣立っていました。しかも巣のあとはもとのままではなく、いくらか「解体撤去」したような様子。

ほう、飛ぶ鳥あとを。。云々といいますが。。。

すると下からお客様がなにやら、ニコニコしながら報告してくださるところによると、どうやら二日前の台風がくるその前の日、親鳥が二羽、軒の上で、整列して、見ていたお客様の方を向いて、

「大事にしてくれてありがとう」と言わんばかりに、お辞儀までしてくれた、とのこと。

ちょっといい話。

鶴の恩返しならぬ、鳩の恩返しがあるかもしれませんね。

u_pine_s.jpg
無事 剪定の終わった松




植木屋のたわごと | 18:25:10 | Trackback(0) | Comments(0)
道具祓い
前回書いたように、倒木の処理をして12尺の脚立が壊滅しました。

そもそもこのような作業に脚立を使ったというのが間違いでした。

私のちょっとした油断の犠牲になってしまった12尺の脚立。ある意味、身代わりになってくれたとも言えます。ぐにゃぐにゃになって、もう直しようもない。

もちろんこれからも12尺の脚立が仕事では必要です。

そこで新しい脚立を手に入れる前に、この壊れてしまった脚立に長年の感謝の気持ちを伝えたい、そして処分されてしまうこの脚立の魂を少しでも鎮めるために、吉野神宮でお祓い(道具祓い)の儀を受けることにしました。

宮司さんに尋ねたところ、可能であるとのこと。

境内の神前まで脚立を運び、御祈祷をしていただきました。大変丁寧に祈祷をしていただき、平日の雨の午前中、ひとひとりいない静寂な境内で、静かに、この脚立の魂を鎮めてあげることができたのでは、と思います。

「このようなことになったのは残念なことでしたが、よろこんでいると思いますよ。道具にも魂がありますからね。」

宮司さんにそういって頂いたので、よいことをした、と思うことができました。

脚立。自分の命を毎日預けている道具でもあります。それをあらためて感じました。



植木屋のたわごと | 05:34:42 | Trackback(0) | Comments(0)
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