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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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北村美術館 四君子苑
京都河原町今出川の北村美術館。茶道具の収蔵で有名であることはかねてから知っていましたが、なかなか遠い存在でした。秋の特別展示の期間が来たので、今回は雨のなかでしたが、足を運びました。

私が吉野に住んでいるという縁も感じて、です。創設者の北村謹次郎は、吉野で日本の山林王と言われたという北村又左衛門の次男。謹次郎は兄が経営する北村林業に勤め、茶人・数寄者としても名を馳せた人。

今回は特に、庭がどんな材料で、どんな感じで作られて、どんなふうに維持されているのか、興味がありました。

茶室に続く露地庭の飛石、沓脱石、そのほか石造物(灯篭、五輪塔、手水など)に目を奪われました。プロポーションの大らかさ、彫刻された動物や梵字や仏の姿がいまにも庭に出てきてしまいそうなほど生き生きとしています。北村謹次郎は石造物を全国の寺社仏閣で見つけて手に入れたらしいのですが、確かにこうやって庭で再び活かされるという方法があるのですね。しかもその多くが平安や鎌倉時代のもの。これらの石造物からは、物つくりが「デザイン」と言われる以前の「生命の生映し」みたいなものを感じます。

椋など樹齢が300年を超える大木がそびえる下に樹齢何十年かの木(カシ、カリン、松、シャラなど)が茂り、その下には椿、サザンカ、アオキやドウダンツツジなどがしっとりとして馴染んでいました。庭のスペースからみると少し木の量が多すぎるかなとも思いましたが。今年は剪定が間に合わなかったと案内されている方がおっしゃってましたから、そのせいもあるかもしれません。

庭の石造物の中に、私の出身地である倉吉の大日寺というお寺からもってこられたという平安時代製の五輪塔がありました。スタッフと思われる方を捕まえて「これはどういう縁で?」と訊いて、「というのは、私は倉吉出身でして、この寺も知ってましてね」というと、この方は、「あら、私は北条の出なんです」とおっしゃいます。隣の町のことです。なんという偶然。これもなにかのご縁なのでしょうか?

庭のあとは美術館で季節の茶道具を拝観しました。雨の日であったのが幸いして、落ち着いたすばらしい庭の景色と茶道具を合わせて堪能することができました。また行ってみたいと思います。



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庭園 | 21:56:56 | Trackback(1) | Comments(0)
庭の二種類、端的に
たまたま仕事場(奈良の庭)で出会って会話を交わした茅葺職人のおじいさん。話し始めて早々庭についていきなり的をついたコメントをしてこられた。あっぱれだ。

「庭には二種類あるように思えてしょうがないな。いかにも人間が手を加えて作りましたっちゅうしっかり植木の形をつくりこんだ庭、もうひとつは山からもってきた自然の木に人間がちょっと手を貸してやった、手助けしてやったっちゅう感じの庭や。この庭(会話中我々がいた庭)もそうやけど、おれはどうも後のほうの庭がええな。」

これは私の親方が常々剪定の仕方のちがいについて繰り返すことと同じことを実にすらっと言っている。両手鋏で刈り込んだ玉だらけの庭木がある庭。もういっぽうで、雑木林の一部を切り取ったようなさらさらとした姿の木々が植わる庭。いったいどちらがより「日本庭園」らしいのか。平安時代の庭の絵図をみると後者により近いようだ。逆に江戸時代から日本庭園の伝統として確立したのはむしろ前者のようだ。前者のタイプの庭が実は西洋の庭に影響を受けたものであるかもしれないとはよく聞く話である。その真相は如何?

庭で植物を建築的、彫刻的に使うというのは西洋では今でも主流である。山や野原の景色を切り取って庭に再現するというのは日本庭園の十八番であり、それを「人間がちょっと手助けしてやった」と言えるあたりになんとも日本の諸芸術の伝統を感じるのである。





庭園 | 22:17:51 | Trackback(0) | Comments(3)
カルロ・スカルパの庭 ― ヴェネツィアの Querini Stampalia
サンタ・マリア・フォルモーザ(S. Maria Formosa)のちょうど裏手にあたる。以前はスカルパがデザインした木と鉄でできた反橋を渡って直接エントランス部に入場していたのだが、この橋は閉鎖されてしまっている。運河をさかのぼったほうにある石橋を渡ると、クエリーニ・スタンパリア財団とその美術館への受付があった。初めて訪れた7年前は写真を撮る事も禁じられていなかったが、2年前はすでに禁じられていた。入場料に6ユーロとられた。

運河沿いに展開する小部屋とそこに通じるスカルパがデザインした「屋内の運河」。廊下という建築要素を人間の運河として位置づけしたようにも見える。この廊下の脇に降りる段がある。この段は、鉄の格子扉を透かして外から浸水してくる運河の水の面に降りていく。屋内にできた船着場。格子扉からは運河の水面がそとの空の明かりを反射した光がこぼれこむ。

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庭園 | 04:52:09 | Trackback(0) | Comments(0)
醍醐寺三宝院の庭
このブログはイタリアの風景を書くといういうことになっているが、もうここまでの展開で明らかなように、同時に日本の風景と庭園についても書くというということになってしまっている。それはそれでよいだろう。比較庭園論とか比較風景論というようなものが可能かどうか分からないが、書きためていくうちに何がしかの日本・イタリアにまたがる(そして他の国にもおよぶ。。。)庭園や風景の考察ができればと思う。

いま日本に一時帰国中で、京都の庭を中心に見て回っている。執筆中の日本庭園についての本のために写真を撮るというのも目的のひとつだ。本来は奈良や滋賀の庭園ももっともっと回ってみたいのだが、時間の制約もあり、どうしても手っ取り早く、庭専門の案内書で紹介されている京都の庭園が先になってしまう。これまで30あまりの京都の庭を見てきたが、今回またあらたに初めて訪れてすばらしかったと思うもの、また感動したものがある。そのうちのひとつが山科の醍醐寺三宝院。秀吉が基本構想を自らしたという庭園として有名だ。写真を撮ってはならないと厳しく言われ断念したが、のどから手がでそうなほど写真に撮りたかった-。

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庭園 | 19:48:47 | Trackback(0) | Comments(0)
ジュスティ庭園 ~ ヴェローナ
ジュスティ庭園へは、アディージ川を渡る。その前に、川沿いの半円形劇場にも立ち寄った。オリジナルでは、川に対しファサードを持ち、後ろに半円形の劇場を丘の斜面に向かって築いた形態となっていた。いまでは、川に面した建屋はいくらかの円柱を残して跡形もなく、アスファルトの車道が川縁を走り、劇場遺跡は川とは分断されている。劇場の中に入ってみた。半円形の観客席を上る。それは背後の丘を登ることを意味する。客席の頂上に近いあたりで振り向いた。目の前にアディージ川がしなやかに蛇行して右から左に流れ、その先に旧市街が眺められる。ちょうど、ローマのサンタンジェロ城に登れば眼前に流れるテヴェレ川がこのように見えるだろう(この場合、テヴェレ側は左から右に流れるが)。ヴェローナは小さなローマのような様相だ。もともとはローマ人が築いた北の町であるから、そういう形容も全く外れてはいないだろう―。

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庭園 | 06:16:28 | Trackback(0) | Comments(0)