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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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イタリア・ランドスケープアーキテクト協会で講演
私が会員として所属するイタリア・ランドスケープアーキテクト協会(Associazione Italiana di Architettura del Paesaggio、略称AIAPP)のローマ支部で、日本庭園について講演した。約一時間半の講演だ。これまでは、講演するたびに、読むための原稿を用意してきたが、今回は初めて原稿なしでパワーポイントだけのプレゼンテーションを試みた。結果は良好。日本庭園が大自然を象徴するその力に聴衆のローマのランドスケープアーキテクトたちは関心していた。さらに日本庭園の精神性の高さ―。

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講演・講義 | 05:15:51 | Trackback(1) | Comments(0)
カルロ・スカルパの庭 ― ヴェネツィアの Querini Stampalia
サンタ・マリア・フォルモーザ(S. Maria Formosa)のちょうど裏手にあたる。以前はスカルパがデザインした木と鉄でできた反橋を渡って直接エントランス部に入場していたのだが、この橋は閉鎖されてしまっている。運河をさかのぼったほうにある石橋を渡ると、クエリーニ・スタンパリア財団とその美術館への受付があった。初めて訪れた7年前は写真を撮る事も禁じられていなかったが、2年前はすでに禁じられていた。入場料に6ユーロとられた。

運河沿いに展開する小部屋とそこに通じるスカルパがデザインした「屋内の運河」。廊下という建築要素を人間の運河として位置づけしたようにも見える。この廊下の脇に降りる段がある。この段は、鉄の格子扉を透かして外から浸水してくる運河の水の面に降りていく。屋内にできた船着場。格子扉からは運河の水面がそとの空の明かりを反射した光がこぼれこむ。

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庭園 | 04:52:09 | Trackback(0) | Comments(0)
チェコのギターリスト作曲家 ステファン・ラック
ステファン・ラックというヒューマニスト音楽家を発見した。

8月上旬私はひとつのクラシックギターのコンサートに深く踏み込んでいた。私の先生ピエロ・パドアが8月上旬にセルモネータ(Sermoneta)というラツィオの小さな街でクレモナのマエストロ、ジョバンニ・プッドゥがコンサートをするはずだ、と私に教えてくれたのがそもそものきっかけだった。さっそくインターネットでこのコンサートについて検索した。その結果分かったのは、プッドゥのコンサートは或るクラシックギター祭りのコンサートの一環であるということだった。私はさっそく主催者のもとに電話した。どうやらプッドゥのコンサート自体は中止となったらしい。私は祭りで招待されていた数人のギターリストの名前に目を通した。私の知っているギターリストはわずかひとりだった。

祭りの二日目の夜、私は思いきってセルモネータを目指した。チリ人の若いギターリストカルロス・ペレス・ゴンザレス(Carlos Perez Gonzales)のコンサートを聴くためだ。高く築かれた城壁の門をくぐりセルモネータの古城の境内に入ると、そこには二本の樫の大木が生えている。その向こう、照明で照らし出されたつきあたりの石作りの建物の中で彼はギターを弾いた。広い境内の土間の中央には古い井戸が据えられている。城壁で囲まれた境内からは深い夜の闇が頭上に広がっていた。彼は甘く美しい音色をセルモネータの古城に響かせた。私たち聴衆はその深くやさしい確かな音色に酔いしれ、外で意気盛んに鳴く蝉の一群のこともしかと忘れたのだった。この重い歴史をたたえた古城、夜の闇、しんしんと響く蝉の鳴き声、照明で照らし出された石の古屋、それらすべてがこの若いギターリストの澄んだ音色をくっきりと浮かび上がらせ、私たちをひときわ別の時空へとつれていった。

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人。。 | 06:01:47 | Trackback(0) | Comments(0)
背伸びして出すイタリア語の本
執筆中の日本庭園に関する本がなかなかできない。当初は11月か12月に出版しようと言っていたが、どうやら2007年4月になってしまいそうだ。確かに、イタリア語で書いているから大変なのだろうが、共著者のベアトリーチェ、出版社のロレンツォと仕事を進めながら思うのは、日本のことをイタリア語で的確に伝えるという基本的な作業が一番難しいということだ。しかも、自分のもっている書き方のスタイルをイタリア語として通用する範囲で認めてもらいたいというこちらの欲望がある。「いや、イタリア語ではこれは変なんだ」と言われても、少しイタリア語では不自然かもしれない表現でも意図と真意が分かってもらえるのならこういう言い方にして欲しい、とこちらが要求する。「僕等のイタリア語を信用しないというならお手上げだ!」などと冗談ではあるが彼らから発言が飛び出すとき、コトバや文化にまつわる作業がいかにデリケートで難しい問題であるかあらためて納得する。書きコトバではまだ議論する時間があるが、同時通訳などの話コトバでは議論する間もない一時勝負なのだから、それはさぞ大変だろう。
とにもかくにも原稿は一部を除きほぼ出来上がった。写真の割り当てもかなり進んでいる。出版にたどり着いたその日の喜びを夢見て進むしかない。背伸びをしてのことだから大変なのは仕方が無いか―。

お知らせ | 04:23:20 | Trackback(0) | Comments(0)

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