投稿日:2006-12-28 Thu
アパートの階下に住む数学の先生セルジオが私の『禅精神のディメンションとプロポーション―龍安寺石庭をめぐって』の原稿を読んで、自分の高等学校の年末オープンセミナー(毎年この時期色んな分野の専門家を招いて生徒さんに話をしてもらっているらしい)で龍安寺の庭について話をしてくれ、と前日になって電話をしてきた。自分は風邪をひいているから明日は立会いできないけれど、学校へ行けば担当者が待っているから、といういかにもイタリア的「じゃあこうしよう」主義(これを私は Facciamocosìsmo とひそかに呼んでいる)。実は去年同じ時期に頼まれていたがこちらの都合でお断りしていたので、今回はこころよく受けることにして、朝10時にコロッセオが見える丘の上に建つ、カヴール科学高等学校へ向かった。学生は14歳から17歳くらいまでの25人くらい。女生徒が3割くらい、男生徒が多かった。原稿の通りにパワーポイントを使って龍安寺の庭に表明される禅精神の私なりの解釈について1時間ほど話をした。最初に、「最近イタリアでもZENといって結構話題にのぼるようだけれでも、みんなはZENということばをきいてどんなイメージが浮かぶ?」と訊いてみた。女生徒の一人が「一輪の花」と答えた。なかなか面白い答えだ。そして男生徒の一人が「ある生き方」と答えた。なかなか鋭いな、諸君!と私は最初から大いに感心した―。続きを読む >>
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