投稿日:2007-10-25 Thu
友人の家族を案内してセルモネータ Sermoneta を再び訪ねた。ローマから南東に約80キロ、教皇の避暑地のあるアルバノ山からさらにルピーニ山地に沿ってナポリの方面へ向かったところに位置する白い中世の街。背後のルピーニ山(Monti Lupini)は名前が示すとおり(語源はラテン語のlapis=石)石灰石でできた山地である。ローマからテッラチーナへ向かってアッピア街道を下ると左手にずっとつづく荘厳な連山だ。セルモネータは前に紹介した20世紀の街ラティーナとアッピア街道を挟んでちょうど反対側に位置する。(ラティーナはアッピア街道のある地点から海のほうへ右折、セルモネータは山の方へ左折、という具合。)秋晴れ、気温も最適の絶好の観光日和だった。白い街が秋の澄んだ日差しでますます白く輝き、丘の上に立つというロケーションも手伝って、ひときわ別世界に達したような感覚になる。建物も敷石もことごとく白い。特に敷石は轍と靴の摩擦でテカテカに磨かれて、陽光を反射して輝かしい。町全体が白い石灰石でできているのだ。この石灰石は背後のルピーニ山から取ってきたものだという。丘の上にたつ町のちょうど頂上にあたる部分にお城が建っており、このお城も同じ白い石でできているが、完成には13世紀半ばから16世紀半ばまでの300年もの年月がかかったという。セルモネータが建築的にも文化的にも栄えたのは貴族カエタニ家による。この家系で1297年にここに最初に居を構えたのがピエトロ・カエタニ(元カゼルタ―ナポリ近郊の町―の伯爵)であったが、彼の叔父は教皇ボニファチウス8世(1294年に就任)であった関係上、セルモネータとカエタニ家の政治的、文化的地位は確立し、その後16世紀までセルモネータは特にこの丘上という戦略的ポジショニングのおかげで近隣の町との紛争や教皇・皇帝間の度重なる政争にも耐えて栄えたらしい。
友人とその家族をつれてガイド付のお城の見学に入った。このお城は、私が夏のギターのコンサートに訪れたことのあるお城だ。そのときは蝉のなく「境内」の他は正面の大ホールしか見なかったが、今日は家主の部屋やフレスコ画で塗られた迎賓の間、屋上に設えられた敵撃墜の設備、警備用の通用路、台所などいろいろな面白い部屋や施設を見学できた。(迎賓の間のみがフレスコ画で彩られているのは、イタリア人特有の bella figura 「いい格好」への執着だ、とガイドさんの談。)
ラティーナの町の説明で解説したとおり、下に眺めるポンティーナ平野はつい何十年か前まで大部分湿地帯だった。セルモネータが栄えた中世も当然マラリアの発生するほとんど通過不可能の悪魔の地だった。その悪魔の地から高く隔離されて(蚊もこの高所までは上ってこない)、またその悪魔の地によって守られながら(敵もこの悪魔の地で断念する)、それを遠く低く眺めながら悠々と建ち栄え続けたというセルモネータ。町と地形と政治・戦争との緊密で合理的な関係がよく現れている。
現在は丘の上にそびえる静かなそしてエレガントな町だ。なんといっても背後の白い山から白い石を運んできて300年かけて建設したという事実がこの町の美しさを裏打ちしている。お昼ご飯にはタルトゥーフォとポルチニ茸が入った手作りラヴィオリを食べた。
なお、セルモネータの下には有名なニンファ Ninfa という素晴らしいお庭がある。また別に紹介したい。
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投稿日:2007-10-23 Tue
10月19日(金)の11時と17時の二回、イタリア衛星テレビのSKY-906にて『山川草木』についてのインタビューが放映されたそうです。されたそうです、というのは変な話ですが、私はちょうど前日からアメリカに来ていて、放映を見られなかったというわけです。インタビューは去る10月1日にモンテマリオ(ローマのサッカースタジアムの後ろの丘)にあるECO-TVというテレビ局のスタジオで行われました。最近出版された本をシリーズで紹介する番組、イタリア語で Consigli per gli acquisti(「購入おすすめ本」)という番組です。インタビューアはNino Graziano Lucaという憎いほどのイタリア美男でしかも切れ者。10分間という短時間にするどい質問を連発させ、こちらは拙いイタリア語で応答に四苦八苦でした。たとえば:
-西欧庭園と日本庭園の根本的違いはなにか?
-イタリア庭園を見て何が印象に残るか?
-イタリアで日本庭園を作ることは可能か?
-文化のグローバル化の中で『山川草木』の意義は?
などなど。ここでそれらにどう答えたかは省略するとして、インタビュー15分前に初めて手にした本について的を得た質問の数々。。。さすがプロ!と感激してしまいました。ハラハラドキドキする暇もないままインタビューは終了。深夜のメリーゴーランドに突然連れて行かれて10分間駆け回って、降りたら眩暈がした―そんな感じ。
さて10月19日(金)の11時と17時の二回放映されたらしいのですが、共著者のベアトリーチェがパドヴァの両親に頼んで「見てもらった」ということ。両親はなかなかよかった。彼のイタリア語は見事だった!と言ってくれたらしく、少しほっとしました。本についていつ何時どんな質問をされてもいいように応答用のレパートリーも作っておかなければ、と痛感。
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