投稿日:2013-10-26 Sat
京都河原町今出川の北村美術館。茶道具の収蔵で有名であることはかねてから知っていましたが、なかなか遠い存在でした。秋の特別展示の期間が来たので、今回は雨のなかでしたが、足を運びました。私が吉野に住んでいるという縁も感じて、です。創設者の北村謹次郎は、吉野で日本の山林王と言われたという北村又左衛門の次男。謹次郎は兄が経営する北村林業に勤め、茶人・数寄者としても名を馳せた人。
今回は特に、庭がどんな材料で、どんな感じで作られて、どんなふうに維持されているのか、興味がありました。
茶室に続く露地庭の飛石、沓脱石、そのほか石造物(灯篭、五輪塔、手水など)に目を奪われました。プロポーションの大らかさ、彫刻された動物や梵字や仏の姿がいまにも庭に出てきてしまいそうなほど生き生きとしています。北村謹次郎は石造物を全国の寺社仏閣で見つけて手に入れたらしいのですが、確かにこうやって庭で再び活かされるという方法があるのですね。しかもその多くが平安や鎌倉時代のもの。これらの石造物からは、物つくりが「デザイン」と言われる以前の「生命の生映し」みたいなものを感じます。
椋など樹齢が300年を超える大木がそびえる下に樹齢何十年かの木(カシ、カリン、松、シャラなど)が茂り、その下には椿、サザンカ、アオキやドウダンツツジなどがしっとりとして馴染んでいました。庭のスペースからみると少し木の量が多すぎるかなとも思いましたが。今年は剪定が間に合わなかったと案内されている方がおっしゃってましたから、そのせいもあるかもしれません。
庭の石造物の中に、私の出身地である倉吉の大日寺というお寺からもってこられたという平安時代製の五輪塔がありました。スタッフと思われる方を捕まえて「これはどういう縁で?」と訊いて、「というのは、私は倉吉出身でして、この寺も知ってましてね」というと、この方は、「あら、私は北条の出なんです」とおっしゃいます。隣の町のことです。なんという偶然。これもなにかのご縁なのでしょうか?
庭のあとは美術館で季節の茶道具を拝観しました。雨の日であったのが幸いして、落ち着いたすばらしい庭の景色と茶道具を合わせて堪能することができました。また行ってみたいと思います。
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投稿日:2013-10-13 Sun
偉いその道の達人達の考えをパクる などという一種の遊びをよくやっています。案外だれでもやっていることかもしれませんね。たとえば、黒沢明のことばに、「観客が本当に楽しめる作品は楽しい仕事から生まれる。仕事の楽しさというものは、誠実に全力を尽くしたという自負と、それがすべて作品に生かされたという充足感がなければ生まれない。」
というようなのがありましたが、これをお借りしまして(俗に、パクって)、
施主が本当に楽しめる庭は楽しい仕事から生まれる。仕事の楽しさというものは、誠実に全力を尽くしたという自負と、それがすべて庭に生かされたという充足感がなければ生まれない。
とすると、まったくもうシックリ、納得です!
あるいは、王貞治が、
「ぼくは自分の目の前に来る玉を自分の打ち方でいかに正しく打つかということしか考えていない。」
とおっしゃったらしいのですが、これも拝借して、
ぼくは自分の目の前に来る木を自分の切り方でいかに正しく切るかということしか考えていない。
とさせていただくと、単にこれがシックリくるというだけではなく、いやむしろ、これはどういう意味になるのだろう?と考えさせられてしまうのです。剪定でいえば、基本をおさえたうえで自分の切り方というものを確立するということはわかるけれど、では、「その自分の切り方でいかに正しく切るか」とはどういうことなのか?単に正しく切るのではなくて、自分の切り方で正しく切る。守破離を亘った境地に、さらに「正しく」ということを念頭において王さんは打っていたのだろうか。これは深そうだ。。。
と、こんな感じで最初は軽くパクリ遊びをしていると、遊びのつもりが、とても重大な(つまり芸術的に)本質的な問題に発展してしまうのです。
この遊びはやめられません。
投稿日:2013-10-11 Fri
亀岡市のN邸は京都府の代表的近代和風建築の「農家建築」の部にノミネートされているすばらしい邸宅です。何日間かかけて、そちらのお庭の剪定に伺っています。建築年代は明治18年(1885年)。およそ130年の歴史です。庭も同じころ築かれたのでしょうか。長屋門を入ってすぐの玄関先に樫、松、ヒバ、槇などが植えられ、主屋の座敷の南側に本庭が眺められます。ここに植わっている木の堂々たる威風。槇は高さ8mくらいでしょうか。こんな立派な槇を剪定したことはかつてありません!
これがその槇。
そのほか、檜の大木が高さ9m。タブノキ、トベラの大木、樹高1.8mにもなる霧島ツツジなど、貫録あります。庭は蹲、手水、灯篭、飛石を備え、茶事が催せるような計らいになっています。市中の山居といった都会の中の奥山を再現した茶庭の形式では一本一本の木は主張することはないのですが、こちらの庭はそれとはまた違って、木の一本一本が個性を放ち、それでいて全体として落ち着きまとまった様相を呈しています。古い木はやっぱりすばらしい。大きな木はやっぱりすばらしい。それだけの時間を生きてきたのだし、つまりこちらのご先祖ご家族の暮らしをずっと眺めてきたのだし、たぶん、庭の中における自分の存在価値みたいなものを木も十分わかっているのでしょう。いってみれば、それを引き立ててやるのが我々の役目なのでしょうか。

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