投稿日:2013-12-31 Tue
2013年終わりです。今日31日も夕方まで仕事をしました。庭作りの最後の詰め。でも現場にいればいるほど手直ししたい箇所が見えてきて、きりがなさそうでもありました。なんでも一回でバシッと決められたらいいのですが、なかなかそうもいきません。今年は4月に独立開業しました。不安と展望との入り交じる、ミックスジュースのような心境で始めました。まだ軌道に乗ったと言えるような状況ではありませんが、なんとかここまでできているのは、お客様、同業者の先輩の皆さん、お友だち、ご近所さんなど、いろんな人からいろんなかたちでお声を掛けていただいているおかげです。人との繋がりが大事だということをこれまででいちばん実感した一年でした。ありがとうございました。お声を掛けてくださる方々のご意向に叶うように、まずそれを第一に、今後も仕事をしていきます。
そして、今年も、私を励まして、相談にのってくれて、毎日職人弁当を作ってくれる妻に感謝!
なお、昨日は、雪の積もったヒマラヤスギに登って剪定をするという栄誉を賜りましたが、こりゃ、雪のヒマラヤ!!かい? 手足は凍るようでも、心は熱くー。
2014年もどうぞよろしくお願いします。
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投稿日:2013-12-27 Fri
吉野の阪本造園土木さんを手伝うかたちで庭作りをしています。私が全体の設計をやらせてもらい、施工段階の配置、構成、石組、植栽など全般に渡って手を入れています。新築の住宅のお庭の新規工事ですが、松などある程度既存の木を残しているので、そのぶん最初から落ち着いて見えます。大まかな絵というか構想というか、それは持ってかかるわけですが、なにせ、一時いっときに決めていくことがほとんどです。そして、「ひとつの決定が次のなにも決まっていなかったことを決定していく」、みたいなことの繰り返し。これって、もしかして、あの「こはんにしたがう」(『作庭記』)ってやつ?
確かに、この石ってどう据えられたがっているのかな?とまず自問します。そして、どういう相棒を欲しがってるかな?と訊きます。
重森三玲も松尾大社の庭をつくったときそんなことをいってますが、建築のルイス・カーンだって同じようなことをいっていたような。
また、かの森先生という方は、石を組むときに、前もって全ての主だった石の絵を描いて、それを段ボール紙で切り抜いて、それを使って事前に石組の構想を練っておられた、という話を聞きました。
石を据えるのでもいろいろな見方、発想の仕方、アプローチがあるんですね。
そして、やっぱり最後はセンスかなあ。。昔、ピカソの絵をスペインで生で観たとき、それ以下でも以上でもない、完璧と思われるタイミングで筆を置いたように感じられ、それにひどく感動した経験がありますが、それって、センスということと繋がるように思います。ならば、自分のセンスはどうなのか、どうやったらもっとセンスを磨けるのか、真摯に見つめ直すいい機会です。
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