投稿日:2015-12-31 Thu
10月、11月、12月と、方々のお客様のお庭の剪定でけたたましく動き回っているうちに、はや大晦日。今年もたくさんの新しい出会い、仕事の発展がありました。「よいと思うことは即行動に!」というモットーを一年間続けて自分に言い聞かせられたのはなによりです。
ご縁、というものをますますひしひしと感じる年でした。昔結んだにもかかわらず最近疎かにしていた縁というものを、もう一度、自分にとって確実に大切なものとして認識しなおす、そのような年になりました。それは、例えば、東京や神戸で旧友のお庭の仕事をさせていただいたこと。上智大学の同窓会の関西支部である関西ソフィア会の仲間に入れていただいたこと。20年来の友人であるスウェーデン人のダンサー、カルメンが再び来日してくれて、一週間ほど、庭と踊りのさらなるコラボの可能性について模索できたこと、などです。
今年も前年に続いてたくさんの飛び込みの営業をしました。飛び込みであるにもかかわらず、私の人物と技術にまずは賭けて(!)くださり、大切なお庭に出入りすることをお許しくださり、私を信用して「お客様になってくださった」すべてのお客様に、こころからお礼申し上げます。このようなお客様がくださった信用と期待に真摯に応えていく ― それが、単純に今の私がやるべきことだと思っています。
今年も励まし、応援くださったすべての方々に感謝いたします。まだまだ未熟な植木屋ではありますが、努力を続けます!
そして、最後に、毎日現場で食べるための弁当を作ってくれた妻にこころから感謝。今年のグランプリは―

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投稿日:2015-12-30 Wed
最初の修行先で、いつ初めて聞いた言葉なのか、「樫に始まり樫に終わる」。剪定は―ということです。あまりに箴言じみた言い回しなので、たいそう謎めいた響きだなぁ、と感じたことを覚えています。ですので、このことば、いったいどういう意味なのか、それからずーと考えています。樫を切るたびに。もちろんだいたいどういう意味かはわかります。樫の剪定は初歩だよ、でも樫の剪定ほど奥深いものはないよ、だから最後は樫の剪定に行き着くんだよ、というような意味なのでしょう。
でも、です。それが言葉で、つまり頭でわかるのと、体でわかるのとではとてつもない差がある、というのはこれまた自明です。
このことばを最初に聞いたときから、いったい何本の樫を切ってきたのだろう。。。
大した数じゃありませんね!
ただ最初の修行先では、樫の剪定をするのに枝一本、芽一つ、葉っぱ一枚というような細部にまで指導を受け、午前中四時間ずっと一本の樫の上に乗ったまま、というようなこともありました。二つ目の修行先では、いろんな大きな樫をたくさん切らせていただきました。どちらも非常に勉強になりました。
樫は木としてさほど色がない分、切ったあとの結果に切る人の色が色濃く出るのかもしれません。書は人なり、というようなことが、樫の剪定にも言えるのかもしれません。自分と木が、自分の腕(技術)と木の性が、どういうふうに接点を見つけられたか、あるいは見つけられずに終わったか、他の木を切る時より樫を切るときはより鮮明に見えてくる、そんな気がするのです。そこがかなりスリリング。剪定って面白い。なかでも樫の剪定は!
毎年伺っているお客様ですが、つい先日、大きな樫を剪定しました。

これは、も ち ろ ん 剪定前!

これが剪定後。
別の角度から、

剪定前

剪定後

お隣のモチノキとセットで
この樫は、3年前に初めて手を入れました。その前は刈り込むように玉にして切ってあったものが3年ほど放置されていたため、爆発寸前!の状態でした。それを少しずつほぐし、ほぐし、やっと木らしくなってきました。そして落ち着いてきました。
8mか9mかそのくらいあるけっこうりっぱな樫です。
樫に始まり樫に終わる。始まったばっかり?!の わ た く し
投稿日:2015-12-15 Tue
奈良県御所市 楽音寺というお寺さんの境内の一部分を改修する小さな工事を請けました。本堂向かって左側の築山を整備する工事でした。

改修前
築山を取り囲んでいた石組みを一度すべて解体。大石は根を深く据え直し、その他の小さめの石も より自然に見えるように据え直しました。

作業中 応援下さった大江ガーデンさん、ありがとうございます!
槇、馬酔木、姫梔子(ヒメクチナシ)を除いてすべてのゴチャゴチャした小さな植栽を撤去し、その代りに薮柑子(ヤブコウジ)と玉竜で地面を覆いました。

改修後
奥の廊下が丸見えなのを改善するため、シンプルな青竹の四つ目垣を配し、その足元に3本の延石で縁石を施しました。

四つ目垣の裏側
改修ではありますが、「前からこうであった」かのような自然さをいかに出せるか、ということに主眼を置きました。目立たず、奇を衒わず、自然に、落ち着いて馴染んだ様子に。どんなに小さな庭の工事でも、そういうところを目指していきたいと思っています。日本の庭のよさというのは、そういうところにあると信じています。
小さい工事ながら、程よい気の張りをもって取り組めた工事でした。仕事を下さった和尚さま、ありがとうございました。
ところで、この和尚さま、78歳にして、境内に植わっている百日紅の剪定を毎年自分でなされているとのこと。そのお姿を拝見することができました! すごい、のひとことです。

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