投稿日:2017-11-24 Fri
前回書いた記事、日本庭園とは何か?というテーマについて、少し続きをー。モンツァ農業学校の日本庭園コースを昨年・今年と2年に渡って受講してくれたイタリア人の女性建築士イネスさんとのやり取りで、このテーマについて彼女が自分の見解を述べてくれました。いや、そもそも一連のやり取りの中で、
「Sachimine 先生は授業を通して私たち生徒に日本庭園の本質について何を分かってほしいと思ったのでしょうか?」
などという極めてスルドイ質問をしてきたのです (冷汗 (;^_^A
そこで私もちょっと意地悪して(笑)、
「そっかー、それが明解でなかったのなら、私の授業は準備不足でしたよね~」
などとちょっと変化球で対応。
そうすると、やったー、大成功! 彼女曰く:
「いえいえ、Sachimine先生の伝えたかったことは明解でしたよ、つまり。。。」
以下その文
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Il giardino giapponese riproduce paesaggi naturali, tramite una riduzione di scala e un processo di astrazione che, evocando ed includendo il vuoto, libera l'immaginazione. 日本庭園は凝縮と抽象というプロセスによって自然風景を再創出(reproduce)する。凝縮と抽象によって、もともとの自然とかその自然に対して抱いた人間の心情とかいうものの再現(represent)ではなく、むしろ何か新しく自由な想像を描きたてる。そして自由な想像を許すためには、造形のなかに余地、余白、空あるいは間というのが必要になる。
Occorre osservare attentamente i paesaggi naturali e gli elementi che lo compongono per coglierne l'essenza e le leggi e cercare di sintetizzarle, distillarle nel giardino. まず何よりも自然風景とそれを構成する要素を注意深く観察し、自然の摂理を理解し、そのエッセンスを庭として要約し昇華しなければならない。
Il paesaggio naturale e la natura sono sacri, nelle rocce e negli alberi dimorano i kami. Per questo l'uomo li avvicina a sè e cerca, tramite il giardino, di entrare in contatto con le leggi naturali e dell'universo. Realizzando un giardino l'uomo dimostra di avere capito e di esserne parte. 自然風景とか自然(木や石)は人知人力を超えたものを持っている。それに人間は畏怖を抱く(カミが宿る、と信じる)。人間は庭というものを通してその大いなるもの(自然の理、宇宙の理)に近づこうと努力する。庭を作ることはその努力を身をもって感じることであり、同時に自分もまたその大自然の一部であることを理解しそれを表現することだ。
Ecco, io ho la sensazione di avere capito, innanzi tutto, questo. E mi sembra questo connoti il giardino giapponese, differenziandolo dai nostri giardini occidentali che sono antropocentrici (come dice Fosco Maraini), non naturocentrici. 私はこんなふうに理解したと思っています。そしてこの点において、自然というものを中心に据えた日本の庭が、人間を中心に据えた我々西洋の庭と異なるのだと思います。
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っとまあ、これは彼女のイタリア語をだいぶ私なりに意訳したものですが、ここまで補足訳しないとなんだか分かってこないほど彼女は要点を極めている!
こう書いていて、なんだかまた恥ずかしくなってきました。私はここまでは言っていない!と思えてくるからです。でも、彼女はここまで自分なりに理解を発展させてくれている!ほんとうにすばらしいことです。そしてありがたいことです。
こちらも一層の勉強と研鑽を強いられます。何よりも、まず、自然風景というものをもっともっと注意深く観察せよ、と自分に鞭を打たなくてはなりません。
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