投稿日:2018-08-20 Mon
現在私が居住し、植木屋としての拠点をおく宇陀市大宇陀の旧市街松山地区。戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄え、明治時代から昭和40年代まで賑わったという歴史をもち、宇陀松山伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている(以上、ウィキペディアから引用)、そんなところです。
表の道を散策しているだけではなかなか想像できないのですが、その奥には、しっとりとして住み手の個性をいかんなく発揮したと言えるようなすばらしい庭が沢山あるようです。

この写真もそのひとつ。御家に残る記録をたどると明治のころにはすでに植わっていたという松を中心に、新たに植えられたモミジやマキやその他サツキなどで構成されています。この松は何年か前に建物を改築された折に、もう伐採してしまおうかという話にもなったようですが、お孫さんが「残すべき」と主張されたとのこと。樹齢の割にはほっそりとしたスマートな松ですが、さすがに枝ぶりはのびやかで、なんとなくこの御家のご家族の上品さとマッチしているのです。
これは一種の坪庭。こんな庭を毎日、ある時はダイニングから、あるときは回廊の窓越しに、あるときは離れの座敷から、と角度を変えて眺めておられるのだろうなぁ。すばらしいことです。しかも、御庭はいつも掃除が行き届いて、塵ひとつないような状態に保たれているのです。庭を心の栄養として、生活の中でいかんなく活用されているその姿に、手入れの作業をやらせていただきながら、いつも感動しています。
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