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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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絵ごころ
お客様へのプレゼンテーションに、手描きのパースっぽい絵を4枚ほど描きました。

頭の中でその庭空間にいる自分を想像して、その自分が見るであろう(見たいであろう)庭の雰囲気やこれだ!という庭の構成要素をちょっとドラマチックに表現してみる。。。

「うまいですねぇ」
「いえいえ」
「やっぱりこういう絵を描くのがお好きなんですか?」
「はい、まあ。。。」

私のお見せした絵によって、お客様はこの想像上の庭にご自分で立たれることができた、と、そう思える瞬間でした。

絵については、別にきちんと勉強したわけではありませんが、これまでにすばらしい示唆を与えてくれた人たちが確かに存在します。

一人はアメリカの学校のジム・コーナー先生(←あの、ニューヨークの「スカイライン」。。。でしたっけ、名前は。。。をデザインしたランドスケープデザイナー)。彼は、いきなり授業で我々にニンニクの絵を描かせたのです。ニンニクを見ること、それはまるでニンニクになること、というような芭蕉にも通じそうなメッセージ。冷徹(超客観??)ともいえるような観察眼で、ものに迫る。。。そして彼は、present をするのであって、represent ではないのだ、と教えてくれました。つまり、絵を描くときはものの本質を自分なりに解釈して新たな価値を付け加えるべく前に放り出すのであって、すでに誰か(自分を含めた)が定めたものの概念やものの観方を自分の絵によって代弁するのではない、と。あれれ、難しい話になってしまいました。。。でも、その時の私にはそれがピンときて、納得!と思えましたし、今でもそれは貴重な教えとして残っています。

もう一人は、そのアメリア時代のクラスメートの中国系アメリカ人の女性。天才か!と思える絵のうまさ。すごいと思ったのは、注目してほしいものの描き方は実にエッジが効いてシャープなのに対し、注目をそれたものたちは、絶妙なぼかしでハショッていること。人間はあるひとつのものに釘付けになると他のものはほとんど見えていない。ほんの一瞬のことではあるけれども。でもその見る人の一瞬の脳のはたらきを絵が捉えているのです。だから臨場感というか閃光のごときインパクトがえげつない。。。

もう一人は、スイスのパオロ・ブルギ氏。私の恩師でもある人。彼は、常々、「どう見えるかを描くのではないよ。何を見せたいか、そして何を感じてほしいかを描くのだよ」と言ってくれました。惚れ惚れすることば。デザイナーであるなら、まだ形になっていないものを描いて顧客に説明する段階があるのだから、そのときは、このコトバが実に説得力をもってきます。

などなど、いろいろなひとが絵について教えてくれました。自分の絵などほんとうにたいしたことはないけれど、絵ごころだけは常に持っていないと絵にならない、とは思います。たかが絵、されど絵は深いものがありそうです。



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植木屋のたわごと | 23:06:57 | Trackback(0) | Comments(0)