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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
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力をぬくこと30年
先生によるとローマのお茶は真面目すぎる、と心なき人たちが言うらしい。つまり、お茶をするのに坐禅をしろとか姿勢を正せとか力を抜けだとか先生がやたらと厳しく言うからだという。しかし、道場に通う生徒さんたちは口をそろえて私に言う。最初からいい先生に出会って君は幸運だ、と。確かにそう思う。


今日もそういう話になった。つまり、どうやったら力を抜くことができるか。オリンピックで勝つ選手たちがいかに力が抜けているかと先生は指摘する。坐禅も体から余分な力を抜くためにするのだという。しかし、そういう先生も結跏趺坐が長時間苦なくできるようになったのはつい二年前ぐらいからだとおっしゃる。それまでは半跏で継ぎながら長時間の坐禅に耐えていた、と。先生は毎週木曜日に坐禅の会を有志で企画し30年―。その先生にしてこうなのだ。一年二年でどうなる話ではない。

私はここ何週間か薄茶の一番基本的なパターンを教わっているが、重心の座りが至らず、水差しを置くときにどうしても腰が浮いてしまう。お茶が3年目というロベルトさんが同じ型を後からやってみせると腰は浮かない。実に上手にすっとこなしていた。ところが、ロベルトさんが棗を左手でもって右手の茶杓でお茶を掬おうというとき、先生の待ったがかかった。棗を持つ左手が左ひざにのっかかっている、という指摘。のっかかるのではなく、棗をもっている左手が左ひざに若干「つかえてもいい」ということなのだそうだ。のっかかるのとつかえているのは大きな違い。確かにそうだ。この「のっかかる」というのは、空間的にもまた時間的にも言えることだと気が付いた。というのは、9月の合宿でお茶歴長いある女性の点前を見たときに気が付いたのだ。彼女の点前は、実にスムーズに流れるように進むのであったが、どうしても見ているこちらが落ち着かない。なぜかな、と考えた結果、分かった。一つの動作が次の動作に時間的に「のっかかって」いるのだ。いわゆるよっこらしょ、である。これはスピードが遅い速いという問題ではない。動作の杜撰、怠惰だ。ある力を抜けば、でれっとして、別のところにのっかかるのが普通のようだがそうではないようだ。力は抜いてもでれっとしない。ある種のエネルギーの働きだろう。今日ロベルトさんへの先生の指摘を聞いていて、はは、と思いあたる節があった。

それにしても力を抜くというのは簡単なようでまったく難しい。肩の力を抜くと手首に力が移動し、手首の力を抜くと、指に移動する。体全体から余分な力を抜くというのは至難の技。
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茶道 | 05:44:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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