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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
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公園のイタリアン・ヒューマニズム
午後4時半ごろのことだった。パンフィリ公園に散歩に出かけた。いつもの通り、半分は公園のランドスケープの視察に、もう半分は運動だ。春浅い午後の風がパンフィリ公園のゆったりとした草野を走り、肌にはまだ寒い。木々もやっと緑の芽を枝にちょこちょこと付け始めた程度である。

大池に到着した。この大池はひょうたん型をしている。ひょうたんの長い曲線の片方は樫(Leccio)や月桂樹(Lauro)を中心とした常緑の森が岸辺まで寄っている。ひょうたんの柄の部分からは人工の滝を経て水が注ぎ込む。ひょうたんの柄の向かい側にあたる部分では常緑の森から出てきた遊歩道が池に出会い、そのまま池に沿って曲線を描く。この部分にはベンチがいくつか置かれ、休憩する人々が向かい側の滝を遠目に、水面で遊ぶ鴨やアヒルやガチョウを見て寛ぐ。ひょうたんのもう一方の長い曲線部分は遊歩道が曲線に沿って走り、柄にあたるの部分の滝に通じている。土を打ち固めた遊歩道の幅は7mほどあり、自転車で走る人、ジョギングする人、二人で肩を並べて散歩する人々が余裕をもってすれ違うことができる。遊歩道の池側の脇には公園の森から伐採して拵えたと見られる自然枝を組んだ手摺が続いている。手摺越しになだらかに土の斜面が池の水面まで下っている。高低差はベンチが置かれている部分で30cm、滝に近い部分では3m以上はあろうか。池の水はいつも静かで、澄むとも濁るともなく、ただ自然に水を耐えている。


常緑の森を出た遊歩道が池に出くわす。そこに私は二本のジューダの木(Albero di Giuda)と呼ばれる木を見つけた。鮮やかなマジェンタ色の花を満開させている。学名ではCercis siliquastrum といい、ローマの街中では街路樹としても植えられているし、ローマ郊外の丘陵地では自生している樹木である。(4月上旬にローマにお越しの方は、チルコマッシモからコロッセオに続く大通りを歩き、左側のパラティーノ丘にご注意。マジェンタに染まるジューダの木の見事な大木が植わっている。)この木の美しさは、黒褐色の幹枝とこの鮮明なマジェンタの花のコントラストだ。その二色のコンビネーションとコントラストがことさら貴重に感じられるのは時間が移り変わるせいである。つまり、あと二週間もすれば花は散りはじめ、その欠けた部分を補うかのように鮮やかな黄緑の若葉が花を残した枝に付き始めるのだ。そのとき、これまでのビ・クロミアbicromia(二色刷り)が一気に乱される。目はいったんその審美のスキーム(枠組)を捨て、もう一度新たな枠組みを養わなければならない。今度は黒、マジェンタ、黄緑というどこかぎこちない三色刷り(tricromia)を受け容れるために。しかし二、三週間すれば花は完全に散り、残されるのは幹の黒色と段々に緑を濃くする黄緑との新たなビ・クロミアだ。これがまた美しい―。ジューダの木の葉はまたハナミズキの葉に似てなんとなく心が和らぐ。

さて、このひょうたん池のほとりで、私はこのジューダの木を被写体として収めようとカメラを向けた。二本のジューダの木は、水辺から7mほど離れ、常緑の森をバックグラウンドにして植わっている。
「撮れるかね?」
後ろから声がした。老婦人の声だ。振り向くと、冬用のコートを羽織ったおばあさんが近づいてきた。足取りに幾分の威厳がある。
「なんとか。でもうまく撮るためにはこの手摺を超えて中に入って撮ったほうがよさそうですね。」
私は目の前の木の低い手摺を指差した。
「だめよ!邪魔しちゃ。」
私はキョトンとした。
「公園には巡回の警備員もいるのよ。みてごらん。」
そういって彼女は岸辺を指した。二羽のガチョウがいた。ちょうど私がジューダの木を見つけたその足元で、二羽のガチョウは何か場所を探しているようだ。常緑の森の名残がわずかに池に接するあたりで、木々の陰に半ば隠れるようにして。
「彼らを不安がらせちゃだめよ。ほうっておいておやり。彼らはあんなに若いんだから。」
「私はただあの二本の―」
「だめだめ。あんなに若いんだから、わかるでしょ?」

私は快いゴムのバットか何かで叩かれたような気がした。老女はとっとと歩を進めて立ち去った。私は取り残されて暫し黙想した。イタリアン・ヒューマニズムとはよく言うが、こういうのをイタリア人のヒューマニズムというのか。。。動物にさえ与えるヒューマニズム。生き物の営みを絶対に大事にする、イタリア人はこれほどまでに生命あるものに対する愛を日常的にごく自然に生きているのかもしれない。ここには見せびらかしの微塵も無く、頭で考えた倫理さえもない。動物愛護などとは無論縁がない。イタリア人の日常にはこのような「愛」が満ちているのか―。

二羽のガチョウは白いふわふわした羽をしていた。私はあの老女が二羽のガチョウに注いだ究極の笑みがどうしても忘れられない。
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公園 | 19:59:42 | Trackback(0) | Comments(0)
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