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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
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醍醐寺三宝院の庭
このブログはイタリアの風景を書くといういうことになっているが、もうここまでの展開で明らかなように、同時に日本の風景と庭園についても書くというということになってしまっている。それはそれでよいだろう。比較庭園論とか比較風景論というようなものが可能かどうか分からないが、書きためていくうちに何がしかの日本・イタリアにまたがる(そして他の国にもおよぶ。。。)庭園や風景の考察ができればと思う。

いま日本に一時帰国中で、京都の庭を中心に見て回っている。執筆中の日本庭園についての本のために写真を撮るというのも目的のひとつだ。本来は奈良や滋賀の庭園ももっともっと回ってみたいのだが、時間の制約もあり、どうしても手っ取り早く、庭専門の案内書で紹介されている京都の庭園が先になってしまう。これまで30あまりの京都の庭を見てきたが、今回またあらたに初めて訪れてすばらしかったと思うもの、また感動したものがある。そのうちのひとつが山科の醍醐寺三宝院。秀吉が基本構想を自らしたという庭園として有名だ。写真を撮ってはならないと厳しく言われ断念したが、のどから手がでそうなほど写真に撮りたかった-。


絵巻物を観るようである、とパンフレットに解説してあったが、確かにそのように優雅で景色がめぐりめぐって展開する。向かって右側の鶴島・亀島に生える五葉松といい、左奥手に安座するいわゆる主人石(信長が二条御所で使ったものを信長失脚後、秀吉が聚楽第を経てここに移したもの)、さらにその奥手に展開する滝石組といい全てが「効いている」が、中でも効いているのは池背後に左右に長く展開する土塁だ。その背後には塀がそれに平行して続いているのが見受けられる。この土塁こそこの庭の構成上もっとも効いているように思われる。長くなだらかにゆったりとし、手前で展開する池や島や石組の複雑な構成をしっかり受けとめているのだ。この土塁には立派に成長した樫の類、ヒノキの類(?)、紅葉が見事に植わり、この庭園のスケールと合致している。(これでも庭園の修復時には蜜になり過ぎた森を伐採・剪定するなどでかなり梳いたに違いない。)後日、作庭家の牧丘一生氏とお会いした折に、その土塁がいかに効いているかという話をすると、この土塁は池を浚渫した泥を盛り上げてできたものであろう、とおっしゃった。ここ数年、冬季に庭の水を抜いて、崩れつつある護岸と滝の石組を修復しているらしいが、牧丘氏はこの修復を手がけている作庭家・修復家と一緒に池底に降りてみたこともあるという。池に使われている石は水面上では池底から立ち上がっているように見えながら、実は別の石を下に立てて「上げ底」をしているものも多いという話だった。秀吉も急いで施工したものであろう、と。(権威の象徴であるものはある種のめざましいスピードをもって建設されねばならない、という真理があるようだが。)反面、この庭を見ていると、よい庭は一日にしてできるものではない、とあらためて感じさせられた。言ってしまえば、竜安寺石庭は一日でもできなくはなかろう(塀は別として。。。)。しかし、三宝院は秀吉が作ったとはいうものの、そのあとの様々な自然と人間の相互作用があって今日の状態であるのだというのがよく納得できる。

それにしても、三宝院の庭は雄大だ。スケールが大きい。これまでいろいろ日本庭園を見てきたが、このスケール感は突出していると思った。大きさ自体は格別大きいという庭ではないだろう。しかし、護岸の高さといい、池水の鶴島背後右奥への奥まりかたといい、左の高台から降り来る滝組の配置といい、石橋、木橋、土橋、と意匠を変えて島をつなぐ手法、それら橋の高さなど、この庭を立派に見せるに貢献している要素は限りない。こんな庭には一日中座って勉強させてもらいたいものだ。

私はまたこの庭を見て、京都東山のねね縁の圓徳院の庭を思い出した。庭の大きさは異なるものの、このスケール感は同じ時期の同じ人々の作庭趣味を反映していると思う。
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庭園 | 19:48:47 | Trackback(0) | Comments(0)
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