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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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パドヴァ講演~庭の中のランドスケープ、ランドスケープの中の庭
パドヴァでの講演が好評だったと前に書いたので、一年前の日記からの長文の引用になるがどんな講演だったのかを紹介したいと思う。
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再びパドヴァへ。アントネッラの招きで、パドヴァ大学付属歴史庭園研究会にて、日本の庭園・ランドスケープについて講演をすることになった。日本語でもさることながら、イタリア語でこんな講演をすることなど勿論初めてのことであり、最初はその課題の大きさに圧倒されそうだった。しかし、なんとかなるものだ―。これまでおよそ二ヶ月をかけて準備をしてきた。友人マリアに頼んで試聴をしてもらい、妻の職場の会議室を借りてリハーサルもした。準備は万端だ。あとは度胸を決めて、堂々と臨めばよい。そう思って朝早くローマを電車で出発した。電車の前の席には、フィレンツェへ向かう日本人女性が二人座っていた。車両には日本人が何人もいる。まるで日本を旅行しているかのようだ。彼女たちにフィレンツェの見所をいくつか推薦した後、眠気が襲ってきたのでうとうとした。

パドヴァについた―。


アントネッラに携帯から電話し、ホテルへ向かった。アル・ファジャーノ(Al Fagiano)というホテルで、サント・アントニオ(パドヴァの守護、聖アントニオ聖堂)のすぐ向かいにある簡素な2つ星ホテルだ。3年前にフィラデルフィアの学生の設計演習でパオロの助手をしたときにもパオロと一緒にここに泊まった。講演まで2時間あるので、ゆっくり昼ごはんを近くのレストランで食べた。3時40分にアントネッラが旦那のルチアーノと一緒にホテルにやってきた。相変わらず凛々しく姿勢のよい元気そうなアントネッラだった。車の中でたくさん雑談をした。今日の私の講演に対する彼らの期待と興味は計り知れないもののようだった。

パドヴァ大学生物学部の講堂が会場だ。30分まえであるが、会場につくとすでに受講する聴衆の幾人かが待っていた。ここは、2年まえパオロがフィラデルフィアの学生のパドヴァ・プロジェクトの成果について発表した同じ講堂だ。よく覚えている。機器管理をしているルイスという男性が白い美しいマックのラップトップ・コンピューターを持ってきた。CDを挿入してパワーポイントを起動すると講堂の前面の白いスクリーンに用意したプレゼンテーションの表紙が映し出された。「よし。」自分に心の準備ができていることを確認した。

4時30分。ほぼ定刻通りにアントネッラがマイクで話し始めた。すでに講堂はほぼ埋まっている。20分間、昨年研究会主催の賞を受賞したという若い女性が研究について発表した。4時50分、アントネッラが私を紹介し始めた。一通り紹介が終わり、私にマイクが渡された。

その後はただ淡々と用意したテキストとイメージに従ってプレゼンテーションをしたに過ぎない。講演の題目を日本語訳すれば、『ランドスケープの中の庭、庭の中のランドスケープ:日本の山と水のはざまで』というようなものだ。内容を要約すれば、日本においてはランドスケープと庭とが境界を曖昧にしながら溶け合い、デザインの発想においても物理的にもまた視覚的にも相互移入してながら様々な景色を作ってきた、というのが大筋であり、そのような過程の中に見られる曖昧さとフレキシビリティから、これからのランドスケープ・デザインは学ぶことがあるのではないか、というのが趣旨および提案だ。この講義シリーズは15年続いているという。2年前アントネッラと二人三脚でやってきたジュリアーナが亡くなってから、彼女に捧げる思いでこの講演シリーズはジュリアーナの名前を冠せている。本年度の講義シリーズの統一テーマはレオナルド・ダ・ヴィンチがいったという「山は地の骨組であり、水は地の静脈である」という表現に倣い『地の骨組みと静脈:風景と庭園にみる山と水』というテーマだ。よってアントネッラに最初に講演を依頼されたとき、日本の庭について、しかも山と水というテーマに触れる形で話してくれ、と頼まれた。日本は山と水でき上がっている国といっても過言ではない。よってこの統一テーマに触れるということ自体はそれほど難儀ではなかった。しかし、日本の庭について語るのに在り来たりの日本庭園の説明だけをするわけにはいかない。そこで現代的ランドスケープへの提案となるような日本庭園の再考をしてみようと考えた。

構成は3部構成。第一部は日本を取り巻く山と水の、主に地理学的観点からの要点説明。これがまず下地となる。第二部ではランドスケープが庭に変容(trasformarsi)する過程と庭がランドスケープに変容する過程をそれぞれ3つ例を挙げて説明した。そして第三部は私自身のかかわったプロジェクトいくつかと現代日本のランドスケープ・アーキテクトたちの作品を紹介した。これ以上の内容説明はここでは省くとしよう。それよりも講演の最中に感じた「動き」について記しておこう。

聴衆の面白い反応が示されたのは次のそれぞれの瞬間だった。まずは、最初に私がマイクをもって話し始めた瞬間。それは、この日本人なかなかイタリア語の発音がいいぞ!というような静かでしかも重みのある地響きのようなどよめきだった。「発音がいいぞ」というだけであり、「イタリア語ができるぞ」ということとは違うのだ。それは話し始めたその瞬間のどよめきだったからそういえるのである。演劇の役者たちはこういう地響きのような観客の反応を感知するにちがいない、と思う。それがまた役者をやる絶妙の快感にちがいあるまい。

次に意味ある反応があったのは、第二部の前半部分、ランドスケープが庭に変容する第一の仕方(それは風鐸という装置において代表される―)を説明したあと、「話しに付いてこられますか?」と聞いたときだった。「スィ、スィ」と会場のあちこちから声が上がった。そして同時に拍手が沸き起こった。ほっとした。

そして次に興味深い反応があったのは、西芳寺(いわゆる苔寺)の夢窓疎石が作ったといわれる上段の枯山水の庭について私なりの解釈と説明を終えたとき。「説明はクリアですか?」と聴衆に問いかけると「スィ、スィ」といういくつかの反応のあと、目の前に座っているいたずらそうなおばさんから「ぜーんぜん!」という声が上がった。もちろん冗談である(はず)だが、これを聞いた聴衆全体が爆笑の渦に巻かれた。確かに私の説明はかなり集中して聞いてもらわなければ簡単には理解できないかもしれない内容だった。なにも高度なことをいったというわけではない。この枯山水の私なりの読み方を披露したのであるが、それは要するにこの枯山水が「山と川」「重力と反発力」「水と岩」「原因と結果」というような二分率を乗り超えた普遍性を提示したものであり、それこそが禅の本質に触れものであるにちがいない、というものだった。私としてはこの部分こそこの講演のひとつの山場であったと思う。

次に聴衆から反応のあったのは、第二部のランドスケープと庭とが境界を曖昧にしながら溶け合う過程を説明し終わり、第三部のプロジェクト紹介に移るときだった。「あいにく私自身のプロジェクトは殆どなく、しかも実現したプロジェクトとなるとさらにお粗末な次第で。でも、きっと将来。。。」と聴衆に同情を求めたときだった。その瞬間に聴衆は暖かい拍手をくれた。この瞬間も本当に励まされた。

さらに第三部中、私の最近のコンペの作品の紹介のとき。これはローマ市が経営する新しい託児所の設計コンペで、ローマの建築事務所の若い建築家に協力して参加した。私がランドスケープのテーマとして打ち出したのは、託児所の園内に地中海式庭園と果樹園の縮景を作り出すというものだった。子供たちが日々の託児所での生活において、地中海性気候に特有のランドスケープのいくつかの原型を手で触れ、体で体験できるような場を提供する、というのが趣旨だった。子供たちはこれに助けられて自分たちのマクロな環境イメージのミクロな意識地図を描くことができる。このプロジェクトの紹介をいくつかの画像で紹介したとき、講堂の前方斜めに座っていた65歳くらいのおじいさんが、感に入って拍手をした。他の聴衆はそれほどの反応を示さなかったが、このおじいさんは大変気に入ってくれたようだ。コンペの審査員にこのような心をもった人がいたとしたら、勝っていたのかも?と考えずにはいられなかった。

そして最後に聴衆から得た反応で際立ったものは、スタジオ・オンサイトという日本の設計事務所の「風の丘」という作品を紹介したとき。この作品は、大分県の丘陵地帯の火葬場の敷地のランドスケープ・デザインで、私の感じる限り、日本で本格的にランドスケープ・デザインを実現させた初期の例ではなかろうかと思う。この構想の雄大さとイメージ喚起力にはすばらしいものがある。幸い、事務所の代表である長谷川氏に事前にすばらしいデジタル写真をお借りすることができ、パワーポイントのプレゼンテーションに説得力が加わった。この作品紹介をし終わると大きな拍手が沸き起こった。このようにコンセプトが強く、詩的で、創造的な作品にイタリア人も感じることが多いのだろうか。斎場のデザインといえば、パドヴァからそう遠くない土地に、スカルパのブリオン・ヴェガの斎場の例がある。斎場のデザインというのは独特の位置を占めているのだ。生と死、そして環境と宇宙について問うデザインは最も本源的な部分に触れる。

私の講演は無事終了した。最後にも大きな拍手を浴びた。質疑応答に2本の手が上がった。まず最初は、私と同年代くらいの女性だ。日本において聖なる場所(ランドスケープ)というのがどのように保存されているか、という質問だった。まずなにより、「聖なる場所」がまだ存在するのか、という質問も含んでいた。私は、聖なる場所はまだ日本人の心の中にも環境としても残っていることを指摘し、ただそれが急速な経済成長と環境資源の観光化によって、あらたな存続の意義を問われていると指摘した。講演の中で紹介した三徳山を例に出し、急速に進行する山の観光化によってもともと修行の場であった山道の土壌と植生が侵食されつつあることを指摘し、それに対しどう対処するか、つまりバリアを張ってでも元の山の環境と山道の状態を復元するのか、それとももっと同時代的な方法で、人的介入により変化し続ける山の様相に対峙する新しいデザインを提案するのか。私の返答は必ずしも質問者の期待したものではなかったと思う。「お答えしてないですね、ご質問に、多分。」と弁解したが、マイクを仕切っているアントネッラは「スィ、スィ」といって頷く。とりあえず別の質問者にマイクが回った。

その次の質問者は中年の女性。二つの質問をした。まず、「日本庭園を作るに際し石をたてることが極めて重要だと聞くが、本当か」。次に「縮景という話があったが、日本でオランダ村と称してチューリップ園を作ったり、海のディズニーランドといって世界中の港都市のミニチュアを再現して大変賑わっているらしいが、これは日本で受け入れられている一種の縮景かなのか」。的を得た質問で、大変感心した。

最初の質問には、まったくその通り、とお答えした。石は無造作にたてるものではなく、その石の元あった向き、環境、地面との接触の仕方、などなど深く深く観察して、庭に据えるときにはそれらの観察と洞察を総動員してたてるということを強調した。そしてその技は、長い年月の経験と熟練が必要であること。これこそ、「作庭記」が最も大事と伝える事柄である。第二の質問には、彼女が指摘するような風景のテーマ・パーク化が現代の日本において残念ながら容易でお金になる解決策としていたるところで採用されている現状を指摘した。それはディズニーランド、何とか村、花博覧会、等等に如実に現れている。そこでは、大きな風景の縮図を物理的に再現することによって、既に作られたイメージをそのまま再現して訪れる者を安心させているのだ。既に親しみのあるイメージは対峙するに易い。これが、本来のランドスケープデザインの使命―自由なイメージを喚起し想像力を掻きたてるようなランドスケープを生み出す―からかけ離れたものになりがちであるのは否めない。ディズニーランドの罪は重い?しかし、ディズニーランドがすべて悪いのではない。それに代表される風景の作り方の方法簡単に受け容れて再現してしまうところに問題があるのだ。

講演会が解散すると、何人かの人々が私のところにやってきた。まずは、苔寺の夢窓疎石の枯山水の解説を聞いて「ぜーんぜん!」と叫んだおばさん。彼女はイタリア人ではないらしい。英語で私に話してきた。私の講演を大変褒めてくれた。そのあと知ったが、彼女の旦那はもともとイスラム国の人でこの研究会を15年前に始めた際、中心的人物だったらしい。この旦那にも後で紹介された。次に、別のおばさんがやってきた。私の紹介したプロジェクトのうちのひとつに言及しながら、「どんな植栽を考えているの?」と問われた。これこれと言うと、それじゃうまく育たないわよ!と厳しく指摘された。次に、質疑応答で第一に質問した女性。彼女はイタリア語訳『作庭記』(Paol di Felice パオラ・ディ・フェリーチェという女性の訳、素晴らしい出来である。Le Lettere, Firenze, 2001)についてエッセイを書いたので読んでみてくれ、といって私にコピーを渡した。そして自分は合気道し、東洋の文化に大変興味をもっている。ローマにもよく行くのでぜひ一度会いましょう、と名刺を交換した。そのほか、若い人々何人かからお褒めの言葉をもらったあと、アントネッラと共に会場を後にした。

そとはもう暗い。生物学部の校舎のエントランス・ホールでアントネッラと立ち話。彼女は満足して微笑んだ。「ブラヴォー、XXXX(私の名前)。」彼女は聴衆がかつてないほどの大人数だったことにも感激していた。聞くところによると150人。普段は最大でも80人くらいらしい。パドヴァ大学の工学部の先生は私の講義を聴くように自分の学生を送ったらしく、会場は座席が足りず、床に座る学生もいた。アントネッラは、私がまずイタリア語をここまで上達させたことについて賞賛し、そしてこの講演をこれほどの真面目さと情熱をもってやってくれたこと、そして講演自体もしっかりした骨組み構成をもった力作であり、大変趣旨が明らかで興味深いものだったといって褒めてくれた。彼女に言わせれば、私は彼女のためにも面子を保ったというのである。イタリア語で言う、「ベッラ・フィグーラ (bella figura)」である。私自身のベッラ・フィグーラを示したことは言うまでもないが、彼女にとっても?しかし、よく考えてみればそうである。イタリア語もままならない日本人の若僧(もう若くはないが)を連れてきて講演させようというのは彼女の勇気の賜物だ。大変にリスクの高いことだったに違いない。失敗したら彼女も同僚に対し顔が立たないだろう。それでも彼女は私にいってくれた。「私はね、貴方に対して信頼をおいてたのよ。必ずやってくれるだろうって。貴方はとても真剣に物事をやると知っていたから。」私はこれを聞いて本当に嬉しかった。何事も一生懸命やることがすべてだ、と本当にそう思った。

その後、研究会の主要メンバーと共にパドヴァの町のレストランで食事をした。会話中に聞いた話では、どうやらこの私の講演は本当に大成功だったようだ。ある女性は「15年続いてきた研究会の講演シリーズの歴史で最も美しい講演だった」と。別の女性は、「今年度既になされた講演の中でもっともオリジナリティに溢れる興味深い講演だった」と。丸1ヶ月半かけて準備した甲斐があった。
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講演・講義 | 06:11:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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