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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
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イタリア造園事情 3
Giardiniere という語の和訳は「庭師」が適している、と書きましたが、日本語の庭師にはより一層大事な意味が込められている思います。それは、占い師、道化師、骨接師などの語が示すように、師匠から弟子にかなり秘密に伝えられてきた技、すなわち伝統技というものを受け継いで「師」であるということでしょうか。つまり、「伝統」という問題が大きくクローズアップされてくるでしょう。伝統=tradizionale も文字通り、tra(世代を超えて)-dizione(言い伝えられた)ということであって、「伝承」ということ。そこに庭師の庭師たる意義があるように思えます。Giardiniere という語にはそこまで「師匠から弟子へ伝統技を継ぐ」というニュアンスは含まれていないのではと思います。よってgiardiniere は専門職(庭の専門家)であるけれども伝統職人という感じが日本語の「庭師」ほどはしない。それはまた、だれより上、だれより下という問題でもないと思います。Architetto del paesaggio や paesaggista に比べて上というわけでも下というわけでもない、と私は思います。それは大工と建築家がどちらが上とか下とかいうのでもないのと似ているでしょう。どちらも専門職。でも役割が違う。ただいえることは、建築家がいなくても建物は物理的には建つが、大工がいなければ建物は建たない。同じように architetto del paesaggio やガーデンデザイナーがいなくても物理的には庭が出来るが、庭師がいなくては庭もできない、また維持管理もできないということでしょうか。現在の大学教育で、大工と建築家、giardiniere と architetto del paesaggio が極端に分離されてしまったことも注意を要するかもしれませんね。
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イタリア造園事情 | 07:09:30 | Trackback(0) | Comments(3)
コメント
こんにちは
“庭師”討論会になりつつありますが、私の個人的な印象では日本の伝承は人から人へ、師匠から弟子へという受け継がれ方に対し、ヨーロッパでは形から形へ模倣することで伝承されてきたように思います。ちょっと庭から離れ建築的になりますが、アンフィテアトロ(戸外劇場空間)は紀元前には既に存在していて、庭園内に今残されている劇場空間は15世紀につくられた際には既に模倣、過去の残された書物などを読み解いてつくられたものだといいます。こんなものだったんだろう・・という想像を足して形が出来たんだそうです。

庭師もこれと同じように模倣の歴史があるのではないかと感じます。連続した生垣、高中低と段々になる生垣、植物のアーチ、水や彫刻の配置等、手法や形を少しずつ解釈を変えながら、今私たちが見ている“歴史ある庭園”として保存されているのではないでしょうか?もっと古くにあった庭園の手法とはどんなものだったのでしょうね。
2007-05-14 月 13:06:40 | URL | S.A [編集]
こんにちは。
忙しさと肉体疲労の連日でなかなかパソコンに向き合えないでいた最近でしたが、ようやく書き込みができる時間の余裕ができました。
しばらく訪問できませんでしたがこんなにも沢山のご意見が書き込みされていてすごく嬉しいです。

masui様の書き込み本当に「庭師とは何ぞや?」と自分に問いかけることばかりでここ何年か少しストイックじゃなくなってしまっていた私には目から鱗状態です。自分の職業をまた真剣に考えさせてくださるこのようなサイトに出会えたことにただただ感謝です。
最近また色々な書籍をお小遣いの中から捻出して購入し、休憩時間に目を通し、一人フムフムと頷きながら仕事に従事しております。

私は今現在、まさに父親(師匠)から私(弟子)の世代交代の時期に来ています。親子間であっても非常に伝統や師匠を引き継ぐというのは難しいと痛感しております。色々な書籍を読み講習会に参加し自分自身は更なる高みへと思い修行しておりますが、同時に自分流・自我もどんどん大きくなり、純粋な師弟関係(他人同士での継承)ではないので父親と息子の関係がどうしても出てしまったりで思うように父の背中を継ぐことが難しく思っています。ただ私は最近こう思っております。

技や知識は経験工学の世界であるので、父(師匠)からは精神論をひき継げれば思っています。よく仕事は見て覚えろ!教えてもらって覚える事は大したことはないと言われますが、最近なんとなくですが判ってきました。仕事中の何気ない一服のときの親方の雑談の中に庭師の美学と精神があると感じております。会社の屋号は庭匠霧島といますが「霧島流」は絶対に技術には無く口伝の中にあると結論付けました。技術や得意な分野はこれから施主様と共に柔軟に変幻自在になって行くのが理想。
しかし父が脱サラして庭師になり霧島のお客様に対する共通する庭つくりと造園人としての気概は私の中の血と肉が引き継ぐと・・・。
親子だからこそ伝わる阿吽の呼吸・無言の会話・・・。

伝統と継承、一子相伝の教え・・。私の親方は日本を代表する大庭匠ではありませんが、裸いっかんで築き、愚息の私に紡ぐチャンスをくださったことに私は応えたいと思う今日この頃です。

日本では伝統を引き継ぐことにとても特別な感じを受けますが、イタリアはむしろ父の家業はすごく誇り高く、母はとても大きく特別な存在でいつまでも尊敬できる大切な人と位置づけられいますが、今の日本はどうなっているのでしょうかね・・・・・。つい最近も寝ている母親の首を切断し、取調べでも誰でも良かったなどという始末です。日本は確かに豊かになりましたが、豊かになればなるほど人と直接コミュニケーションとる事をさける商売が繁盛し、人のぬくもりが伝わる商売は下火になる・・・・。
日本は何処に向かっているのですかね???

イタリアは今も変わらずファミリーを大切にして父親を尊敬し後を継ぐことに誇りを持っているのでしょうか?現在のイタリアでは紡ぐことの問題などあるのでしょうか?現在私の会社に東京農業大学造園科卒業の子が入社しましたが、まったくもって最近の子に漏れずな状態です・・・。

こちらのブログを拝見させていただくと、同じ学生でもすごく違いがあるように思います。・・・・・・・・そんなことは無くイタリアの子たちも日本と変わらないのですかね?隣の芝は何とやら・・・ですかね?

イタリアの日本の造園に興味がある子を日本に呼んだ方がよっぽど真剣に取り組むのではと最近ホントに思ってしまいます。

日本で海外の庭を紹介されるときどうにも我協会はヨーロッパについては情報が少なく、国際シンポジウムでもブラジル・バンクーバー・アメリカの事情が多くて私はイタリアなどヨーロッパにアンテナを張っているので少し寂しい気持ちです。masui様は岩谷さんとの交流がおありということなどで機会があれば是非直接masui様の講演などを国際シンポジウム等でお聞きしたいと思います。日本で講演がありましたら是非ご一報ください。

今年の夏は妻が石川県の加賀市出身なので、三度帰省と称して庭園見学を目論んでいます・・。河村素山さんの庭やちょっと足を伸ばして田中泰阿弥さんの庭が見れたらいいなと妻には言わずに思っています。


2007-05-21 月 18:37:42 | URL | 星 宏海 [編集]
活発な書き込みありがとうございます!
SAさん、星さん、ありがとうございます。

SAさんのおっしゃるように、「ヨーロッパでは形から形へ模倣することで伝承されてきた」のかもしれませんね。でも考えてみるとイタリアは「ヒューマニズム」で有名なのに、なぜ口伝という文化継承より形の模倣による文化継承が中心なのでしょう?日本では確かに「人間国宝」というタイトルがあって、これはイタリア人にはとても新鮮に響くようですね。確かに過去の巨匠(ミケランジェロやブラマンテ。。。)は今でも気持ちの上では国宝扱いですが、現在生きている職人さんや芸術家でそこまで「国宝」扱いされている人はイタリアにはいないのではないかと思いますが、どうでしょう?
逆に、日本こそ「形の伝承」がより一層顕著ではないかと私には思える節もあるのですが。。。というのは、例の伊勢の神宮の例が示すように、「形」の継承ですよね。材料の旧新ではなくて、「形」とそれによって伝える「霊」みたいなもの?また、遺跡の修復などの例でも、日本ではレプリカをよく作ります。そのほうが、「霊」を生きた形でよく伝えられるからでしょうか?イタリアはレプリカを作らないで、材料の科学的経年変化に忠実に、かつ歴史学的に「うそのない」方法で、遺跡の修復をしているように見えます。
とにもかくにも、イタリアでは、庭師の技術は口伝というより、過去の形の模倣によって伝統が守られてきた(作られてきた)というのはおっしゃるとおりかなと思います。

星様のコメントについて。口伝の精神性ということを書いておられるのに共感します。そして、「技術や得意な分野はこれから施主様と共に柔軟に変幻自在になって行くのが理想」とおっしゃるのもうなずけます。私も、各々の施主との出会いによって作り手自身が変わっていくことができればすばらしいと思います。

家業を継ぐというのは現在のイタリアでも大変なことではないか、と思います。日本と同じで、イタリアも今まさに社会が急速に変わりつつある最中であるという感じがします。卑近な例をひとつ。トラステヴェレの L'Antica Caciara という総菜屋さん、ロベルトさんという白衣を着た店主がいつも頑張ってます。息子さんも時々レジに座っていますが、彼がロベルトさんのように後を継いでこの老舗を今後さらに継続発展させていってくれるかどうか。。。ロベルトさんには総菜屋さんとして職人の自負があります、それを息子さんも頑張って継承してくれればいいのですが。
概して言えば、私の印象では、イタリアが日本よりこの点に関して「青い芝」だとは言いかねます。ただ、ご指摘のとおり、学生さんと接したり、イタリアの20代、30代の人々と交流する限り、日本の同年代の人に比べて、なんというか、人間がまだ「生」であるというか、変に「加工されてない」というか、そんな印象を受けます。私のお茶の師匠野尻命子先生が『ローマでお茶を』という著作で語っていらっしゃるイタリア人のいい意味での純粋さというのと同じです。純粋さというのは、要するに、美しいものに対して純粋に美しい!とか、自分を磨きたいので先生に教えを請いたい!とかそういうモティベーションの純粋さのことです。というわけで、おっしゃるとおり、イタリア人の若い人を見習いにとったほうがよっぽど。。。というのは、本当かもしれません!

日本庭園については確かにアメリカ中心で紹介されてますが、ドイツや北欧ではかなり紹介されているようですね。イタリアではまだまだです。私は日本で開かれる国際会議などで発表できるほとの研究者でもなく、また庭作りのほうも経験不足で、まだまだこれからです。地道に研鑽を重ねたいと思っています。今回の著作はその初心表明みたいなものでしょうか。。。







2007-05-22 火 21:33:25 | URL | paesaggista [編集]
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