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  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

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偉いその道の達人達の考えをパクる
偉いその道の達人達の考えをパクる などという一種の遊びをよくやっています。案外だれでもやっていることかもしれませんね。たとえば、黒沢明のことばに、

「観客が本当に楽しめる作品は楽しい仕事から生まれる。仕事の楽しさというものは、誠実に全力を尽くしたという自負と、それがすべて作品に生かされたという充足感がなければ生まれない。」

というようなのがありましたが、これをお借りしまして(俗に、パクって)、

施主が本当に楽しめる庭は楽しい仕事から生まれる。仕事の楽しさというものは、誠実に全力を尽くしたという自負と、それがすべて庭に生かされたという充足感がなければ生まれない。

とすると、まったくもうシックリ、納得です!

あるいは、王貞治が、

「ぼくは自分の目の前に来る玉を自分の打ち方でいかに正しく打つかということしか考えていない。」

とおっしゃったらしいのですが、これも拝借して、

ぼくは自分の目の前に来る木を自分の切り方でいかに正しく切るかということしか考えていない。

とさせていただくと、単にこれがシックリくるというだけではなく、いやむしろ、これはどういう意味になるのだろう?と考えさせられてしまうのです。剪定でいえば、基本をおさえたうえで自分の切り方というものを確立するということはわかるけれど、では、「その自分の切り方でいかに正しく切るか」とはどういうことなのか?単に正しく切るのではなくて、自分の切り方で正しく切る。守破離を亘った境地に、さらに「正しく」ということを念頭において王さんは打っていたのだろうか。これは深そうだ。。。

と、こんな感じで最初は軽くパクリ遊びをしていると、遊びのつもりが、とても重大な(つまり芸術的に)本質的な問題に発展してしまうのです。

この遊びはやめられません。



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庭づくり・庭作業 | 11:43:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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