投稿日:2013-12-27 Fri
吉野の阪本造園土木さんを手伝うかたちで庭作りをしています。私が全体の設計をやらせてもらい、施工段階の配置、構成、石組、植栽など全般に渡って手を入れています。新築の住宅のお庭の新規工事ですが、松などある程度既存の木を残しているので、そのぶん最初から落ち着いて見えます。大まかな絵というか構想というか、それは持ってかかるわけですが、なにせ、一時いっときに決めていくことがほとんどです。そして、「ひとつの決定が次のなにも決まっていなかったことを決定していく」、みたいなことの繰り返し。これって、もしかして、あの「こはんにしたがう」(『作庭記』)ってやつ?
確かに、この石ってどう据えられたがっているのかな?とまず自問します。そして、どういう相棒を欲しがってるかな?と訊きます。
重森三玲も松尾大社の庭をつくったときそんなことをいってますが、建築のルイス・カーンだって同じようなことをいっていたような。
また、かの森先生という方は、石を組むときに、前もって全ての主だった石の絵を描いて、それを段ボール紙で切り抜いて、それを使って事前に石組の構想を練っておられた、という話を聞きました。
石を据えるのでもいろいろな見方、発想の仕方、アプローチがあるんですね。
そして、やっぱり最後はセンスかなあ。。昔、ピカソの絵をスペインで生で観たとき、それ以下でも以上でもない、完璧と思われるタイミングで筆を置いたように感じられ、それにひどく感動した経験がありますが、それって、センスということと繋がるように思います。ならば、自分のセンスはどうなのか、どうやったらもっとセンスを磨けるのか、真摯に見つめ直すいい機会です。
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