■プロフィール

  S A C H I M I N E

Author:  S A C H I M I N E
世界の庭を見渡して考えたい―ほんとうにいい庭ってどんな庭?お客さまのよりよい暮らしに貢献する庭づくりをめざして、日本とイタリアの長~い歴史と深~い文化と豊か~な自然をインスピレーションの泉とします!。。。でも現実は暑さ寒さ虫と戦う植木屋の毎日でございます― (っ^-^)っ゙
ホームページはこちら:www.sachimine.com

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
『「絵になる」まちをつくる―イタリアに学ぶ都市再生』民岡順朗著 
ローマのテヴェレ側の西側にジャニコロの丘という丘があるが、そこは昔からローマ人が自分たちの街を見下してその美しさに感嘆する場所だ。そして自分たちの都市を心底誇りに思う。あれがパンテオン、あれがサン・ジョヴァンニのラテラノ教会だ、などといって指差して、歴史と形と色と生活とをまるごと堪能する。そこに展開する都市風景には統制の美がある。民岡氏の本でも明らかなように、その統制の美は法的に誘導されたものだ。そうでなければ到達され得ない。夕陽が背後の西のかなたから自分を超えて自分の眼前に広がるローマの街並を照らし出すとき、その光景はあまりにも美しい。そして単に美しいというだけではない。人が住んでいるという温かみが溢れている。つまり街が体温で生きている―。


民岡氏の本著はそのような光景を原体験として書かれたもののようである。都市を感じる、という官能的な体験だ。都市が官能的であるかどうか、つまり感じることができるものであるかどうかは極めて大きな問題である。私達は都市の「官能度」なるものを主に映画や写真などによって間接的に思い知らされるが、計画や設計の世界(映画の舞台となるような都市を実際に計画設計する側)ではそのような問題はあまり真面目に扱われていないようだ。官能度とは人にイマジネーションを抱かせる力だ。歴史に対するイマジネーションであり、視覚や触覚にまつわるイマジネーションであり、環境や物理に対するイマジネーションである。それらを抱くことを可能にするような都市こそ「官能度」の高い、より「感じられる」都市であろう。都市は人間が(自然の力を借りて)作ったものの中でもとりわけ大規模な作品であり、人間に与えられた最大の宝はイマジネーションの力であるとすると、都市とイマジネーションというものが最大限結びついても不思議ではない。

そのような感じられる都市・ローマを自ら体験した民岡氏は、振り返って日本の街を考える。そしてその現状の問題の多さを指摘する。民岡氏の日本の街に対する感じ方を私も大方共有する。例えば関西空港(いみじくもこれはイタリア人のレンゾ・ピアノの作品)から大阪の街に入っていくときの「灰色」の景色を見ながら、私はいつも考える。どうしてこうなってしまったんだろう、と。このままでは日本は危ない、とさえ思う。なぜなら、民岡氏もいじみくも指摘しているように、イマジネーションの働かせられない都市環境で育つ子供の身心の発達を憂えざるを得ないからだ。都市のデザインの問題は子供の(同時に大人の)教育と心の問題---倫理的な問題よりむしろ感受性の問題---すなわち国の将来の問題と密接に関わっている。だからこそ民岡氏の本書では将来を見据えた時間軸が大事なプロットとして導入されているのだろうし、その観点は極めて妥当であるといえる。逆にそもそも将来の展望のない都市計画はあり得ない(はずだ)。都市計画はどちらかというと広域な空間的ゾーニングという意味にのみ解釈されがちで、時間的な構想を欠くきらいがある。修復という概念を用いて都市計画に時間軸をしっかりと導入しようという民岡氏のスタンスは明るい。

民岡氏は本書の中で修復ということと関連して、歴史の価値というものについても述べている。この点について、私のローマでのお茶の師匠である野尻命子先生が、著書『ローマでお茶を』の中で紹介しておられるエピソードがなかなか面白い。日本から訪れた方があるとき、ローマのフォロ・イタリコ(サッカースタジアム、陸上競技場、室内プールを含む総合スポーツ施設、ムッソリーニの構想による)の前のムッソリーニの名を冠したオベリスクを見て、「イタリアではなぜ過去の汚点である歴史の跡までも残すのか?」とイタリア人に質問したという。そのとき訊かれたイタリア人は「残さない理由がどうしてあるのか」と聞き返したというのだ。それはイタリア人の歴史というもの対する認識をよく現している。歴史というのは汚いにせよ綺麗にせよ、何があったのか分かるように残しておくものなのだ。それによって街には民岡氏がまさに指摘するとおり「重層性」が長い長い時間を経て形成されていくのだ。(そういう意味では観光名所コロッセオも大いに汚い歴史を背負っている。)翻って日本はどうか。汚い歴史は忘れましょう。綺麗な歴史は都合のいいときにだけ思い出しましょう、と。この点については、私が尊敬し友愛するスイスのランドスケープアーキテクト、パオロ・ブルギのランドスケープデザインにおける基本思想もまた示唆深い。彼は、「ランドスケープデザインが人間の自然への介入である以上、人間が介入したものであるというサインを暗示によるにせよ明示によるにせよなんらかの形と方法で残しておかなければならない」という。(拙者訳『季刊ランドスケープデザインNo.9』1997、マルモ出版、参照)「人間の介入」こそはまさに歴史の積み重ねのことである。それを隠蔽しようと目論むことはそれが一見自然への帰還だと見えても人間自身にとって潜在的危険をはらんでいる。人間は歴史を忘れ過ちを繰り返しやすい生き物であるということだろう。そういう意味で、歴史の重層性を街の中にまた風景の中に残し、綺麗な歴史、汚い歴史を問わず歴史が忘れ去られる危険性があればそれを再認識させるような手立てを打つということは、建築・都市計画・ランドスケープデザインが目指すべき美的(esthetical)テーマであるとともに倫理的(ethical)テーマでもあるわけだ。同じようなことを民岡氏は、「絵になる風景」とは「美しい」というだけの問題ではない、ともいっている。したがってまた、現在日本でまた世界中で席捲しつつある「自然へ帰れ」という思想は、一見環境にやさしい「よい」思想であるように見えるが、歴史(人間の自然への介入を語るもの。この点はフェルナン・ブローデルの歴史観にも通じるような気がする)の重層性を消し去るような意図的な試みとなったときには要注意である。その意味で、本書の最後の民岡氏の提案である東京を森に還すというアプローチも、東京の歴史―とりわけ民岡氏が負の遺産として描く経済利潤効率追求型経済成長が生んだ部分の東京の風景の歴史―を隠蔽することに利用される可能性があるだけに、エコロジカルであるからよい政策であると単純に認めることは少々危険であると私には思われる。(なお、この点に関連して、ランドスケープデザイン界においては、早10年前に、ドイツのルール工業地帯の工場跡を負の遺産として隠蔽せず歴史の一面として残し公園に転用したペーター・ラッツの例があることを記しておく。ランドスケープデザインの世界ではこのような脱工業化社会における過去の工業遺産をノスタルジーに訴えるのでない変化する風景の一断面としてデザインすることが普通になった。)

新しい街づくりは政治的問題を多くはらみ、住民参加が進むとそれだけ多くの利害関係者の決定過程への参加が増え「デザイン」に収集が付かなくなる。そして最悪のケースには住民参加によって結果的に「安っぽい継ぎ接ぎ」の街づくりを犯してしまうことになりかねない。それは一見民岡氏も指摘されている中世の街づくりの成功と背反するように思われる。しかし、現代(とりわけ日本の現状)はヨーロッパの中世とは大きく違う。手仕事と段階的修理(まさに修復)が街づくりに活かされにくい。なぜならそもそも修理に値しないエレメントによって経済原理に基づいて手っ取り早く短期で済ませてしまう街づくりだからだ。そのような下地の上で住民参加だけの街づくりを進めればいわゆる安っぽい継ぎ接ぎの街をまた作ってしまう危険性が高い。特に日本の場合、半不変的な重い石で構成された都市景観の背景をつくる構造的基盤(民岡氏はこれを「過去」を背負った背景であると指摘するが、それがあるためにイタリアでは建築の内装の修復という作業が大きなビジネスになり得る)がないため、さらに危険である。要するに、市民参加の「下からの」街づくりが成功するためには、その上部で開発や計画をガイドし統制する賢い立法府(またその産物である法)およびそれを支えるブレーン(建築家を含む芸術に携わる者)がどうしても必要になるのだが、建築・都市の構造的性格から考えても本来は日本においてそれらがイタリア以上により必要だったはずだ。しかし、現実はそうではなかった。民岡氏の指摘では戦後イタリアが日本に勝っていたのはまさにその点においてである、といえるらしい。私は3年ほど前、ローマ大学の建築の大学院修士課程に在学した折に、ローマのいくつかのコミュニティデザインのプロジェクトに参加した。その一つにローマでもチェントロ中のチェントロといえるモンティ地区(地下鉄B線カブール駅の辺り)にあるアンジェロ・マイという旧市営社会福祉施設の再利用計画に関するコンペに参加したことがある。この施設は1999年以降その機能を停止し放置されていたのだが、2003年にローマ市は市の財政補填のためにこの施設を民間の不動産会社に売却することを決めた。そして不動産会社はそこに高級ホテルを兼ね備えた大商業施設を誘致する案を発表した。それに対して立ち上がったのは地区住民であった。この施設の以前もっていた社会性・公共性に見合う地域住民の生活の質を向上させるような施設として再利用するべきである、という反対デモが起こった。ローマ大学建築学部ではその住民運動を全面的に支持し、建築学部が地元住民の自治会と共同で設計のアイディアコンペを主催してアンジェロ・マイの具体的な再利用案を募ったのだ。私はこのコンペにローマ人の建築家と参加し結果として一等を受賞した。この施設を小学校として再利用し、かつ地域住民も利用できる公会堂、体育館、職人工房、展示場、音楽堂、公園を設けるとする案だ。その後自治会や大学の運動が市の都市計画課に響き、しばらくしてローマ市は当初の不動産会社と交渉し、新たな代案を設けこれをすべての関係者に納得させた。それによると、①旧アンジェロマイ施設にはモンティ地区で現在スペースが不足しつつあるA小学校が移転する。(つまりアンジェロマイは修復された後小学校として再利用される。)②小学校のあった建物(有名なトラヤヌスの市場の脇にある)には市の観光局が移転する。③市の観光局があったチェントロの別の建物には前述の不動産会社がそれを買い取って移転する。つまり三つ巴の利害調整により関係者を全員満足させるという解決をとったのだ。私はこの件を間近に見、ローマの街づくりにおける市民の政治力の高さを痛感した。また、建物の修復再利用と建物という半永久的構造物の「物々交換」がこれほどスムーズに行われることに驚いた。補修しては使い、使い手が変わってはまた補修するという方法で。

しかしローマでも現実の都市デザインの現場においては歴史と現代の相克が火花を散らしている。まさに今朝の出来事だが、私がローマの歴史地区であるテラステヴェレ地区のピアッツァ・サン・コジマート(Piazza San Cosimato)で、新しいピアッツァの改修工事が行われている中、その工事を見守る地区住民のおじさんたちに近寄って「どう思いますか、このプロジェクト?」と訊いてみた。何人かに聞いたがすべて「気に入らない」という。「あのマーケットの屋根はまるでテルミニ駅みたいだ。」「あの物置の屋根みてごらん。まるで牢獄だ。」「こんな大事な歴史地区にこんな不似合いなものを作って。」と一様に不評だった。どうやらマーケットに新しく設置されつつあるモダンなスチール製の屋根がこの地区の景観に適さないということらしい。私もピアッツァのすでに新しく舗装済みの部分を歩いてみたが、ヴィテルボ産の玄武岩系石板の灰色の舗装も少々冷たくてこの地区の色になんとなく不似合いだと感じられる。以前はサンピエトリーノ(サン・ピエトロ寺院前広場等、ローマの主要なピアッツァの舗装に使われてきた石の舗装)がこのピアッツァの大部分を占めていたと記憶する。昨年、ローマ市はこのサンピエトリーノを徐々に街の道路から撤去し、新しく改修舗装する場所では極力用いないようにするという方針を決めた。この敷石を敷くことのできる職人の不足が原因らしい。こうしてもっともローマらしい舗装(つまり民岡氏の言葉では街の記憶をとどめる舗装)がローマの街のあちこちで消えていくと考えるとよそ者の私でも悲しい気がする。ローマ人はより一層そう感じているのではないだろうか。

さて本書は前半の説得力がすばらしい。序章と第一章、第二章がとりわけよい。特にイタリアと日本の国土から見た都市(圏)の分布の比較、そして戦後のイタリアと日本の都市再生の政策の違いについて紹介する序章は分かり易くまた面白い。そして自らのローマの原体験から展開されるイタリアの街の魅力と日本の街の没個性を論じていく第一章、第二章も読んでいてわくわくさせるものがある。それぞれにおいて簡潔に著者民岡氏自身の分析と他書からの引用を上手に組み合わせて説得力を持たせている。しかし、その後の第三章、第四章と進むにつれやや勢いを失っていくのが残念だ。第三章、著者がイタリアで専門とした修復について簡潔に概念的紹介をする部分はよくまとまっている。ところが第四章に入り、歴史的価値、美的価値などを考察する手がかりとして現象学や風土の哲学などを参照するあたりになると筆者の野心は感じられるものの、都市計画と修復を繋げる上で未消化な論理的展開が見受けられる。新書の一章分で、歴史、美、現象学、風土、履歴、記憶、サステナビリティといった現代哲学の主要概念を大胆に繋げて取り扱うという著者の野心には感心する。筆者のそれらの概念に関する理解とそれを都市計画・修復という分野に関連付けようという意図は十分読み取れるが、もう少し別のまとめ方ができたであろう。最終章では日本独自の道を提言する、がこの章もやや説得力に欠けるきらいがある。ここで使われているコトバ、すなわち「縄文の太古よりの自然共存型の文明」「谷崎の『陰影礼賛』」「四季折々の自然」というようなコトバに確かに間違いはないだろうが、現代の日本はもう少し新しい自然観を求めているように私には思える。そして東京を森に還すという提言。これは上にその危険性を指摘したとおりだ。東京を森にするという考え方自体はなかなか興味深く、「ポスト京都議定書」の現代にうけがよく、また極めて実現可能なイメージでもあろう。しかし、人口が半減し、超過の建築物を壊し、東京が緑の中に分離したコンパクトシティの集合体となっていくというシナリオは果たして東京にとって「記憶を重ねる」ための最善の計画であるかどうかは疑問である。

最後に、本書では「絵になる」まちをつくるというときの「絵になる」ということはどういうことか議論されていない。絵になるというのは絵が描けるということであろうか。絵心が生じるという意味であろうか。絵葉書用の写真が撮れるという意味であろうか。日本人にとって「絵」とは何なのか、そしてそれが街をつくるときにどのように反映されてきたか、そして今後反映されていくべきなのか、それらも本書で議論されてよかったかもしれない。「絵になる」というコトバはうけがよくまた馴染み深いものであるだけに、なんとなく分かってしまい、実はあまり分かっていない。

以上批判もあるが、何よりもこのような建築・都市計画・修復の専門家から示唆に富んだこのような新書が生れたことを私達は歓迎しなければならない。専門書ではなく新書というかたちで。市民力を育てるのが新書の役割である、と私は思うからだ。風景を豊かにする街づくりは、民岡氏も指摘している通り、住民の共通感覚と共通認識に支えられたものでなければ本物とはなりえない。したがってこのような内容の新書があらたに登場したことには意義がある。我々市民に対する問題提起を新書という的確な方法で行ったという意味で。

修復という視点から現代の都市風景の問題に切り込んだ功績を讃えたい、と同時にこの問題をさらに掘り下げてくれるであろう今後の民岡氏の著作に大いに期待したい。
スポンサーサイト
本の紹介・書評 | 07:29:53 | Trackback(1) | Comments(5)
コメント
この本のこと
こんにちは。大分の中野です。

この本,僕も面白く読みました。前半は,イタリアの風景が日本の風景といかに違っているかが例証されていて非常に興味深かったですが,たしかに「ではどうしたらいいのか」という部分でちょっと弱い(というか,論旨がわかりにくい)のかもしれません。

大分のような地方都市を,どうしたらいいのか,といつも思います。そういえばこの本にも湯布院とか,豊後高田が「よい例」として挙げられていたのはありがたいのですが,当地では当地なりの悩みを抱えており,いまの風情がそのまま(もしくは発展的に)維持できるかどうかは疑問です。

特に湯布院はかなり観光化されてしまって,金鱗湖周辺などどこの観光地でも売っているような土産物屋ばかりになってしまっています。資本が入ってきたときに,その資本が何をするかについては,日本の場合はなかなか規制しにくいです。

観光地の場合は特に,景観なども公共財として自治体が保護したりしないと,バラバラになってしまいますよね。
2006-02-22 水 00:04:26 | URL | Guy [編集]
中野さん、コメントありがとうございました。湯布院は私は行ったことがないのですが、今では日本の屈指の観光地となった感がある湯布院にしてそうですか。。。観光化されるということと街の独特の風景を保存するということが両立できないのは大きな問題ですね。イタリアでも大きな都市、例えばローマやフィレンツェは観光と独自の風景の保存に成功しているように見えますが、イタリアでも小さい街の現状は厳しそうです。昨日あった友人が言ってましたが、ローマの郊外のVelletriという街に街の唯一の観光資源である美しい石棺があるらしいのですが、政府の文化財に対する予算・人員のカットをうけ、この石棺の行方もあやしい、街の生き残りもあやしい、とのこと。また、ローマでも英米の外国資本によって街全体の雰囲気(つまり風景)が近年大きく変わってしまった地区としてトラステヴェレ(中世の街区が残る由緒ある地区)の例があります。資本が入らねば観光化できず、観光化されれば街が変わる。。。イタリアの現実も厳しいと思われます。。。また遊びに来てください。
2006-02-22 水 05:28:54 | URL | paesaggista [編集]
お久しぶりです。
今、まさにサンコジマート広場の記事を書いていて、この設計をした事務所の紹介記事なので、事務所の味方(?)になりますが。

ここに書かれているサンピエトリーノ石材の話、ピアッツァの住民の話、コメントとして拝借してもいいでしょうか?
つくる側のコンセプトと相反していて、とても興味があります。

もちろん無理にとは言いません。
ご回答お待ちしています。
2007-04-04 水 14:49:18 | URL | S.A [編集]
SAさん。再びありがとうございます。
どうぞ、お使い下さい。もし可能であれば、このブログのリンクなどを挿入していただけるとこちらとしてもありがたいところです。(無理はもうしませんが。。。)
サン・コジマート広場については、その後いろんな人に感想を訊いていますが、賛否両方ありますね。当然ですけど。みんなに好かれたりみんなに嫌われたりというケースは珍しいでしょうし、みんなに好かれるというのは何か気持ち悪い感じもしますよよね。ちなみにこのプロジェクトでもっとも評価できるのは、ピアッツァに面してレベルの下がったところにある教会の入り口(以前は閉鎖されてアクセスできなかった)を、ピアッツァのレベルをこの部分で切り下げることによってこの教会を再び生き返らせたことでしょう。シンプルで直線のベンチがあるあたりもなかなかいい感じだと私は思います。マーケットの意匠について、トラステヴェレの街の景観とマッチしないという意見は多いです。また、ある筋から聞いた話ですが、プロジェクトが完成してから、このピアッツァに面した不動産の価格が急昇し、中には立ち退かざるを得なかった商店や食堂やバールがあったようです。確かに、ピアッツァを取り囲む商店街の雰囲気がちょっと変わったように感じます。(ただ、これはサン・コジマート広場だけの現象ではなくて、トラステヴェレ全体の現象のようです。)とにかくトラステヴェレはここ10年で大きく変わったようです。議論は実はローマの経済・政治問題と大きく関係しているので、景観・建築意匠の問題だけではどうしても的確に説明できないですね。
2007-04-05 木 16:48:26 | URL | paesaggista [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007-04-05 木 22:23:16 | | [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

ローマの風景建築家の書評-1
イタリア風景考というブログに、拙著に対する書評が載っています。とても充実した書評で、一見して驚くのはそのボリューム。そして、ローマ大学の建築の大学院修士課程在学中に、ローマのいくつかのプロジェクトに参加した経験に即した、貴重なコメントを頂きました.... 2006-02-28 Tue 21:29:52 | パトス ΠΑΘΟΣ 

FC2Ad