投稿日:2016-03-04 Fri
道路から見たときのお家の佇まいの全体的なイメージの中で、松が「効いている」ということは多々あることです。門冠りの松という形式でなくても、建物との微妙な位置関係で松がそびえ立って、お家の風格みたいなものに一役、しかも大きな役を担っているような松。
そんな松をまたひとつ剪定させていただきました。幹は上の方で頭を飛ばされた跡があるので、以前はもっと高かったのでしょう。もしかしたら、今の1.5倍くらいの高さはあったのかもしれません。今の状態でだいたい6mくらいです。
タクシーの運ちゃんにも 「大きな松のあるウチまで!」 と言えばなんなく通じるそうです。

before

after

before 別の角度から

after 別の角度から
太い幹から車枝のように太枝が伸びているので、かならずしも枝ぶりが面白いというような松でもありません。そしてその枝も、節間が間延びしていて、枝ぶりが充実しているということもありません。
でも、なんとなく愛嬌がある。
いや、この松が単体としていいのではなくて、やはりお家の建物としての風格がこの松を引き立てているのかもしれません。
この松がなければなんとなく寂しいこの家。この家がこのような落ち着いた佇まいのものでなければ、あってもなんとなく場違いではないのか、と思われるこの松。
なんか、いい関係だなー。家と植栽がなが~い時間を通して、持ちつ持たれつみたいな関係を築いているなんて、すばらしいですね!こういう余裕、このゆったりとした時間の流れこそ、今の日本、これからの日本は大事にしていかなくてはいけないのではないか、とつくづく思う次第です・・・
この前、重森三玲のお弟子さんの野村勘治さんという方が「庭屋一如」(庭と建物とはひとつとして)というテーマで話をされたのを聴きましたが、このお家と松の関係にもそれを感じました。
ところで、松を庭に植えるというのは、奈良時代からやっていたと考えられているようですね。奈良市のイトーヨーカドーの前に天平末期(8世紀中頃)に作られたという貴族の屋敷のお庭が「左京三条二坊六坪庭園」という名前で復元整備されているのですが、その発掘調査の結果では、黒松が植えられていた可能性がある、らしい。海岸でのみ自生していた黒松をわざわざ移植して、海洋風景を模したとされる当時の園地に使ったと考えられるそうです。
それを想うと、日本人と庭と松の関係もそうとう長いのですね。ほんと、当時にタイムスリップして、当時の庭にどんな風に松が植わっていたのか、見てみたい!そしてどんな風に手を入れていたのか・・・ 手を入れていたとすれば・・・ 想像するだけでもちょっと胸躍りますね。
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