投稿日:2019-07-18 Thu
最近ちょっとハマっていることがあって、それは、金蘭大学名誉教授の生形貴重氏の講演を録音したものを拝聴することです。生形氏は、国文学者で茶道研究家。専門は中世日本文学、茶道文化論。大阪の表千家の茶家「生形朝宗庵」の生まれ。
録音はシリーズで13回もの。一回15分ほどのお話です。
まるで淀川長治を彷彿とさせる語り口で、ぐいぐい惹き込んでいかれます。
喫茶のはじまりから、村田珠光、武野紹鴎、千利休、そして利休と信長、秀吉の関係、さらに大名茶の発展、そして茶の湯の芸術としての価値にいたるまで。お話は、主要人物とそれぞれの生きざま、時代背景、社会経済、芸術におよぶ。もちろん、茶の湯に関係するお道具、茶室、茶庭についてもかなり突っ込んで取り上げておられます。
茶庭というのも、さまざまな要素が絡み合った産物であるというのが理解できます。時代の要求、時代を敏感に感じ取った人物たちの試行錯誤や命を懸けた挑戦、先人に倣い先人を越えようという意気込み。。。
「茶庭」というとひとつの決まった形があるようで、しかし、それはいろんな変遷を経たものであること。
いやー、日本人に生まれたことを感謝しなければいけませんね。こんな芸術の世界が今でも受け継がれて生きているということはほんとうにすばらしいことです。
生形氏のお話は、YouTubeでも拝聴可能です。「千利休と茶の湯の美」 味わい深い講義です。
投稿日:2019-06-20 Thu

川上村の老舗旅館 朝日館 の中庭。以前このブログでも書きましたが、この庭でいつ作業をしても、この熟成された庭の落ち着きといきいきとした石組の妙に感動をおぼえます。
150年前に、こんな立地条件の険しい敷地で、よくぞこれだけの石組をやってのけたものだ、と。石組が奥行のある立体絵画を描いているのです。
庭に植わる、五葉松、梅、真柏、槇、椿、ギンモクセイ、マンサク、サツキたちもまた、石組と斜面の中でそれぞれの居場所をかみしめて、落ち着きはらっています。
これだけの年月に耐える庭を作ることがどれだけすごいことか。それをまた維持してこられたこの旅館の代々の主や女中さんらの気概にただただ尊敬の念を抱くばかりです。
投稿日:2019-05-13 Mon

菟田野宇賀志の日張山青蓮寺の藤棚です。
3年前に朽ちた古い棚を撤去して一新した藤棚です。今年も藤をいい感じで支えてくれています。
藤棚といえば往々にして棚ありきのような藤棚があるものですが、ここでは、あたかも山藤が背後の山からググっとせり出してきた、というような風情を出せないものか、「これぞ藤!」といえるような演出はできないものか、と思案したものです。大宇陀~吉野あたりの山の中の道を車で走っていると、山の斜面からせり出して咲いている藤の蔓枝があちこちで目立ちます。そんな感じを庭のなかで再現できたら。。。というわけです。
結果、藤棚というよりは、藤の支え、というかたちになり、こうしてみると、デザイン意図は功を奏したかな、と思っています。
支柱は、それ自体が主張するものであってはいけません。無理やりという支え方もいけません。支えらるべき主人公の「らしさ」みたいなものをより効果的に醸しだしてくれるような支えでなければ。人形劇の人形の姿態や動きをつくりだす支え(棒)みたいなものでしょうか。
そんなことを思うと、普段の植木の支柱の仕方にも工夫や気配りは大事だとわかります。
投稿日:2019-04-16 Tue
イタリア人と日本人のハーフの男子、歳のころ19才。イタリアでこれまでの人生の大半を過ごし、今現在は一時的に日本に滞在中。日本の庭と庭師について興味を持ち、ちょっとどんなものか体験してみたい、と。何故に??という私の質問に対し、彼はなかなかいい返事をしてくれました。
「日本の庭は美しいけど、どうやってその美しさが生まれるのか、それを知りたい」
いかがでしょう、非常にシンプルで的をついた応えだと思いました。
このシンプルな疑問と探求心をこれからずーと保持していくことができれば、間違いなくいい庭師になれるのではないだろうか、そう思います。
その疑問に答えをだすには、自分なりの頭とからだ両方を使った研究が必要になるでしょう。
そしてそれはいかに経験を積んだ庭師でも、けっして忘れるべきではない疑問でしょう。
日本で育った若者たちに同じ疑問と探求心が生まれるかどうか、それは外から見たときによりいっそう純粋に生まれてくるものなのか、はてはて。。。
私自身がかつてイタリアで生活するなかでより強くなっていった日本の庭へのあこがれ。それを思い返すことになりました。
投稿日:2019-03-18 Mon
春が近づくといえば、ふたたび雑草との戦いが幕を開けるということでもあります。庭を持つことはすばらしいこと。でも御庭をもつ人々にとってもっとも厄介なのが、やはり雑草との戦いでしょう。
草引きという作業は、ひとそれぞれかもしれませんが、必ずしも煩わしいだけの作業ではないと思うのですが、しかし、しかし、やはりそれなりの時間もかかるし、しゃがんで下を向いて1時間、2時間、半日とじっと作業するのはしんどいものです。
草引きをするときは、あまり全体を見ずに、目の前の草だけを如何にうまく手早く抜くかということにのみ集中し続けると、結構辛いのも忘れて、気が付いたら10㎡でも20㎡でも草引きが終わっているものです。
ところで、一昨日早春の陽を横顔に浴びながら草引きをしていると、二つのことに気づきました。
ひとつは、雑草に毛虫がけっこう沢山潜んでいたこと。初夏から秋までの草引きではあまり雑草のなかに毛虫がいるのを見たことがないのですが、早春のこの時期だからでしょうか。この時期は新鮮なおいしい緑が少ないから、こうして若い新鮮な雑草を食するのでしょうか?面白いと思いました。
二つ目は、赤い葉っぱのオタフクナンテンの周囲の地面に生えている雑草のみが、赤い色を帯びていたことです。雑草も保護色をまとうのか!それとも環境への同化?いやそもそもこの二つは同じこと?
雑草と向き合う作業のなかでも、ちょっとした発見があって面白いものです。
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